アカツキ 好きなひとが、できました。
アカツキを通販でお祝いにいかがですか?楽天での購入が安心ですね
その「力」が善となるか悪となるかは、扱う人間とその想い次第。
扱う人間が自分を見失わずにいれば、「力」は間違った方向にはいかない。
では、その「力」が悪となるとはどういうことなのか。
好きなシーンを交えて書いていきたい。
僕はアカツキを手にオーブを守るために戦うカガリと、オーブを撃つなら俺が撃つと出撃したシンちゃんのデスティニーが激突するシーンが大好きである。
戦うシーンというより、「カガリの心の動き」がよく描かれているところと、そこからカガリがデスティニーに向かっていくところが大好きなのだ。
オーブ軍のムラサメを叩き斬ったデスティニーの後ろ姿。
その後、カガリのアカツキへと向き直る。
「コイツに来られたらオーブは…!」というセリフとこのデスティニーの姿。
カガリの目には、もはやデスティニーはただの破壊者であり、殺戮者であり、脅威としか映らないことがよくわかる。
その脅威が、破壊者が一瞬にして何機ものムラサメを叩き斬る。その様子を見て、カガリは覚悟を決める。
「相手が強いのはわかっている。でも、自分が国土、オーブ兵、民たちを守らなければみんなやられてしまう!ここは自分がいかなければ!」
という「カガリの心の動き」を表情の変化でよく表している。綺麗に描かれている。
そして、サーベルをハルバード形態にして、デスティニーへと向かっていく。
デスティニーもアロンダイトを構えて向かってくる。
ここがもう大好きなのだ。大好きでたまらないのだ。
ただ、不満点を挙げるならば、ハルバード形態にし、シールドを掲げて回転しながら向かっていく姿がアスランと全く同じというのは如何なものか。
事情があるのだろうが、ここは個性を出してほしかった。カガリのオリジナルというか。だって、人と全く同じ動きというのは有り得ないだろう。ちょっと?残念だった。
シンちゃん「あんたが大将機かよ!?大した腕もないくせに!」
嘲りの言葉を吐き、見下し、「力が全て」で「強い」ことでしか存在価値を確認できない残念なシンちゃんの余裕な表情に対し、必死のカガリ。
こういう両者の表情の違いも良いですね(^^)技量の差でもあるわけですから。
「力」が善となるか悪となるかは、扱う人間とその想い次第。
シンちゃんのデスティニーは、善と言えるだろうか?
シンちゃん「オーブを撃つなら、俺が撃つ」
オーブを撃つことに何の意味があるのだろうか?
そうすることで、それがどういうことになるのか何もわかっていないし、考えてもいない。
ジブリールを捕まえて本当に戦争は終わるのか。←んなわけねぇだろ。
自分の祖国を手にかけて、後悔はしないのか。自分や侵攻しているザフト軍によって、『かつての自分を多く生み出している』ことにも気がついていないし、何も考えていない。
そう。こういう何も考えずに「力」を振るうことが怖いことであり、恐ろしいことなのだ。
こんなのただの破壊者で、殺戮者だろう。
本当に本当のことを見ようとしない。あらゆるところから理由を持ってきて自分を正当化する。自分を正当化する言い分ばかりを持ってきて、根っこの部分に立ち返って見ることをしない。
自分の心の闇と戦おうとしない。だから、どんなに戦って戦果をあげても解決にならない。
自分に都合の悪いことは聞かず、目を背け、都合のいいことばかり言ってくる言葉のみを聞き、信じる。
そうして「力」を振るいまくる。
シンちゃんは正にこういう人である。(そこを突きつけるのがアスラン)
そしてロゴスが悪いと議長に賛同し、簡単に武器を手にして敵を排除する考えへいった民衆もそう。
ザフト軍もそうだし、ザフトに募った各国の軍もそう。
平和を掲げるなら、決して越えてはならないものがある。それは武器や武力で人を排除することである。こんなことを「平和のために」何て言って平然と出来てしまえるのは、平和を謳っているのではなく、騙っているというのだ。
グラディス艦長「議長の命じたのは、ジブリールの身柄の確保でしょ?オーブと戦えということではない!」
また、アーサーのように「戦闘の目的を忘れてしまう」ことも非常に恐ろしいこと。
ここでグラディス艦長が決断を下さなかったら、アーサーや他のザフト兵もオーブが滅びるまでずっと戦っていたことだろう。
目先のことにとらわれて、翻弄されて。
議長が正しいから、聞かぬからと。何も考えずに。
「平和のために」何て言ってる自分たちが、そこで平和に普通に暮らしていた人々の平和を壊し、脅かし、奪い、傷つけ、破壊していることにも気づかぬまま。
自分たちの侵攻によって逃げ惑うオーブの民たちが目に入らぬまま。
自分を見失う、思考を放棄する、人の思考や価値観に依存する、預ける、委ねるといった『自分で何も考えようとしないこと』が、最も恐ろしい。
そんな人間が強大な力を手にして振るうのだ。こんなの破壊者で殺戮者で、脅威でしかない。
『自分で何も考えようとしないことがどれだけ怖いことか、どういうことになるか』。この作品をみるとよくわかる。
だが、誰もがこうなる可能性があるのだ。
人間誰もが簡単に、呆気なく思考を放棄し、楽な道へと堕ちていく。流されていく可能性があるからだ。
それを身を持って思い知らされたアスランの言葉は実は重い。
「力」も発達した技術も善悪はない。本当に怖いのは、技術の発達と共に変化していかない人間、思考を放棄し、簡単で楽な道へと流される人間そのもの。そして、その「力」に呑まれ、狂気に走ってしまう人間である。
そうならないようにするためには、制作者サイドが強く訴えているであろう「物事は一面だけでなく、多面的に捉えて考えること。どんな時でも自分で思考して戦ってほしい」ことを忘れずにいることだろう。
何と戦わなければならないのか。
自ずと答えは見えてくる。
次回は、僕の溜まりに溜まった怒りをぶちまけます。いい加減にしろよという。
学研ひみつシリーズ『アカツキのひみつ』
アカツキ 関連ツイート
https://t.co/ivSq9JBtpp
1→158/38
2→24時間((
3→言ってる意味がわからないので日本語でおk
4→何を?
@dazai619daisuki
⬆️アカツキちゃんの線画を塗らせてもらった😭🙌🙏 https://t.co/84WkCCCF7Q
@dazai619daisuki
⬆️アカツキちゃんの線画を塗らせてもらった😭🙌🙏 https://t.co/84WkCCCF7Q