やっぱりカミュが欲しい!

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アルベール・カミュ(1) カリギュラ (ハヤカワ演劇文庫) [ アルベール・カミュ ]


カリギュラ ハヤカワ演劇文庫 アルベール・カミュ 早川書房アルベール カミュ カミュアルベール 発行年月:2008年09月 ページ数:180p サイズ:文庫 ISBN:9784151400186 カミュ,アルベール(CamusAlbert) 1913年、アルジェリア生まれ。アルジェ大学卒業後、様々な職を転々としたのちにパリで新聞記者となるが、ドイツ軍のフランス侵攻により離職、地下出版“コンバ”紙の編集など、レジスタンス活動に携わる。42年に発表した『異邦人』が大反響を呼び、戦後『ペスト』(1947)によって作家としての地位を確立。小説・戯曲・評論を通じて人間の根源的不条理を追究し、『カリギュラ』(1945年初演、ジェラール・フィリップ主演)は、『異邦人』および『シーシュポスの神話』(1942)とともに、カミュ自身によって“不条理三部作”と位置づけられた。演劇活動にもきわめて熱心で、劇作家・演出家・脚色家・俳優として活躍。57年ノーベル文学賞受賞。60年1月4日、自動車事故で急逝 岩切正一郎(イワキリショウイチロウ) 1959年生、国際基督教大学教授。『ひばり』アヌイ(ハヤカワ演劇文庫)および『カリギュラ』で第15回湯浅芳子賞(翻訳・脚色部門)受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) “不可能!おれはそれを世界の涯てまで探しに行った。おれ自身の果てまで”。ローマ帝国の若き皇帝カリギュラは、最愛の妹ドリュジラの急死を境に、狂気の暴君へと変貌した。市民の財産相続権の剥奪と無差別処刑に端を発する、数々の非道なるふるまい。それは、世界の根源的不条理に対する彼の孤独な闘いだった…『異邦人』『シーシュポスの神話』とともにカミュ“不条理三部作”をなす傑作、新訳で復活。 本 人文・思想・社会 文学 戯曲・シナリオ 人文・思想・社会 文学 その他 文庫 小説・エッセイ 文庫 人文・思想・社会
価格:907円

カミュ ナポレオン 700ml 40度 箱付 ブランデー コニャック kawahc


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価格:6,480円

【全国送料無料】カミュ バカラ カラフェ 700ml(オールドボトル)【RPC】【あす楽_土曜営業】【あす楽_日曜営業】【YOUNG zone】


12時までのオーダー確定で当日出荷 (水曜日は定休日ですが、朝7時までのオーダーで当日出荷(通常便のみ)水曜日は定休日の為、あす楽はお休みです。) この商品はオールドボトルになります。 ・外箱(紙、缶、プラ)の不良(色あせ、へこみ、破れ、等) ・ラベル不良(色あせ、破れ、汚れ、等) ・蒸発等による未開封商品の液面低下 ・澱、浮遊物の発生 ・コルク不良(折れ、落下等) ・ボトル不良(汚れ、擦り傷等) 保管状態にもよりますが、上記のようなごく自然な経年劣化は 多少なりとも発生しているとお考えください。 この商品は返品不可でお願いします。
価格:76,334円

ミュスカデ セーヴル・エ・メーヌ シュール・リー [2016] ドメーヌ・デュ・ムーラン・カミュ <白> <ワイン/フランス>


ワイン名 Muscadet Sevre & Maine Sur Lie / Domaine Moulin Camus ワイン種別 白ワイン ブドウ品種 ミュスカデ 生産者 ドメーヌ・デュ・ムーラン・カミュ 産地 フランス・ロワール 原産地呼称 ミュスカデ セーヴル・エ・メーヌ アルコール度数 13% 容量 750ml その他備考 ●適度な酸と豊富なミネラルが溶け込んだミュスカデ! ミュスカデは、フランス・ロワールの中でも最も海側に位置するペイ・ナンテ地区を代表するワイン。大西洋に面して魚介類が豊富に水揚げされてきた地域であり、地元の人々は海の幸をミュスカデと共に楽しみ、いつしかミュスカデは 「海のワイン」 とも呼ばれるようになりました。 このミュスカデは、 強すぎず弱すぎない絶妙なバランスの酸味に、豊富なミネラル分が溶け込んでいて、 魚介類との素晴らしい相性を発揮してくれます。日本人が大好きな、新鮮な魚介類のお刺身! 今回はフランスのロワール地方より、 お刺身に合わせて抜群のマリアージュを発揮する という、魚好きには嬉しくてたまらない白ワインが入荷して参りました! 一般的にワインと生魚は、合わせるのが難しい組み合わせとされてきましたが、現在ではラベルに 「寿司!」 とか書いてあるワインもスーパーで見かけたりして、 そのハードルはだいぶ低くなってきた印象 を受けます。 ちょっといいお寿司屋さんなら、ワインのメニューを置いてあるところも多くなってきましたよね。 ただし合わせるワインを間違えれば、 魚介類特有の生臭み が強調されてしまう結果となり、せっかくのご馳走が台無しなんて事にもなってしまいますので、なんでもかんでも合わせりゃいいってものでもありません。 お刺身に合わせるのであれば、 活き活きとした酸味やミネラル を備えた、スッキリとした飲み口のワインが適任と言えるでしょう。 ロワールの ドメーヌ・ムーラン・カミュ が造る、 「ミュスカデ・セーヴル・エ・メーヌ シュール・リー」 は、まさにそんなタイプを絵に描いたような白ワイン! そもそもミュスカデの名産地であるロワールの ペイ・ナンテ地区 は、大西洋に面して魚介類が豊富に水揚げされてきた地域であり、地元の人々は海の幸をミュスカデと共に楽しみ、いつしかミュスカデは 「海のワイン」 とも呼ばれるようになりました。 その中でも強くオススメしたい今回のミュスカデは、 強すぎず弱すぎない絶妙なバランスの酸味に、豊富なミネラル分が溶け込んでいて、 魚介類と合わせて飲めば… ●これぞマリアージュ! と誰もが感じるであろう、素晴らしい相性を発揮してくれます! シーフード全般に合いますが、特に 白身魚のお刺身には最高、 同じワインという飲み物ながら、生臭みを増すどころかほぼ消し去り、 互いの美味しさを高めてくれる から不思議なものです…。 これ、本国フランスではかなり人気のようで、実際に パリを中心に300軒以上のビストロで、ドメーヌ・ムーラン・カミュのミュスカデが魚介類と共にガブ飲みされている のだそう。 認証などは受けていませんが、 実質的にビオロジー栽培 で育ったこだわりのブドウを使用、また畑の90%を占めるというシスト土壌は、 豊かなコクのある酒質 を産み出し、独特の個性あるミュスカデに仕上がっています。 お値段は1000円台ながら、今回のミュスカデは 他のものと別格 です! 「ミュスカデなんかどれも一緒でしょ…」 と仰るお客様も、あまりミュスカデを飲んだ事の無いお客様も、騙すつもりは全くありませんが騙されたと思って(笑)、ぜひ飲んでみてください。 一度お刺身などとの組み合わせを試して頂ければ、きっと 「魚介類と飲むならコレ!」 と、またリピートして頂ける事を 確信 しております! 本国フランスでも大評判、リーズナブルに楽しめるミネラルたっぷりのミュスカデ! 「海のワイン」とも呼ばれ、お刺身をはじめ魚介類とのマリアージュ抜群! ミュスカデの中ではかなり完成度の高い、スタッフイチオシの白ワインです!
価格:1,825円

2018 お中元 あす楽 カミュ XO エレガンス ボトル 40度 700ml 箱なし  お酒/贈り物/喜ぶ


ジャン-バティスト カミユが1863年にカミユ社を設立した際、優れた品質のコニャックだけを造ろうと決意し、蒸留から熟成、仕上げのブレンドまで、その全ての工程を彼自身で監督しました。 この精神は、今なお受け継がれております。 170種類以上もの原酒から厳選してブレンドした究極の逸品。 最高酒齢55年の極上古酒も使われ、重厚な香りと、コクのある味わいは絶品。
価格:8,532円

【中古】銀製品・指輪・アクセサリー(キャラクター) カミュ 王冠ネックレス 「うたの☆プリンスさまっ♪」 SHINING STOREグッズ


発売日 2016/07/23 メーカー ブロッコリー 型番 – JAN 4510417340515 備考 商品解説■SHINING STOREのオリジナル王冠を立体化したチャームが輝く、ゴールドメッキのネックレスです。王冠の帽子部は各アイドルのイメージカラーのパイル製で、アーチにはクリアなラインストーンをあしらいました。アジャスター部分はかわいい星のチャームが付いています。【商品詳細】サイズ:[トップ]約縦15×横15mm、[チェーン]約430mm+アジャスター約50mm※シルバー製品は保管時に薄いスレ・くすみ・黒ずみが付くことがございます。予めご了承ください。 関連商品はこちらから ブロッコリー 
価格:1,300円

イーモバイルでどこでもカミュ

転載↓

タントラはふつうの恋人たちをソウルメイトへと変容させる科学だ
 「東洋で、私たちはある科学を発展させた――ソウルメイトを見つけられないなら、それをつくればいい。その科学がタントラだ。ソウルメイトを見つけることは、あなたの七つの中枢すべてが自然に調和する相手を見つけることだ。それは不可能だ。ときには、クリシュナとラーダ、シヴァとシャクティといった……。それが起こるとき、それはこの上もなく美しい。だが、それは電光のようだ――当てにならない。聖書を読みたいとき、それを待っているわけにはいかない。電光が走ったときに読むなんてことはできない。電光は自然現象だが、当てにはならない。
 自然なソウルメイトとの出会いを待つことは、聖書を読むために電光を待つようなものだ。まともに読めるはずがない。一瞬光っても、聖書を開いたときには消えている。
そのために、タントラがつくられた。タントラは科学的なアプローチだ。タントラは錬金術だ。それはあなたの多くの中枢を変容し、相手の多くの中枢を変容し、あなたと恋人のあいだにリズムと調和を生み出すことができる。それがタントラの美しさだ。それは家に電気を引くようなものだ。電気が来ていれば好きなときに点けたり消したりできる。それには何千もの使い道がある。部屋を冷やすことができるし、部屋を暖めることができる。まるで奇跡のようなものだ。あなたの内なる七つの中枢は生体電気の中枢にほかならない。だから、私は電光について話しているが、それをただの象徴と考えてはいけない――私は文字通りのことを言っている。
 あなたの肉体のなかには、微妙な、とても微妙な電気の流れがある。しかし、微妙であればあるほど、それはより深遠なものとなる。それは目に見えにくい。科学者の言うには、人間の身体のすべての電気を集めれば、ロウソク五本分の明るさの電球を点すことができるという。それはたいしたものではない。量的にたいしたものではない。その原子は量的にたいしたものではないが、質的には……。もし爆発すれば、それはとてつもないエネルギーとなる。
 この七つの中枢、ヨーガやタントラが古代から語ってきた七つのチャクラは、人間の生体電流の五つの結び目にほかならない。それらを変えることができる。それらを調整することができる。新しい形態を、様相を与えることができる。恋人たちは深く変容されて、七つの中枢すべてが出合いはじめるかもしれない。
 タントラはふつうの恋人たちをソウルメイトへ変容させる科学だ。タントラが偉大なのはそのところだ。それは地球全体を変容することができる。あらゆるカップルをソウルメイトに変容させることができる」
Osho, Philosophia Perennis, Vol. 1, Talk #8 より抜粋


タントラのスピリットを取り込みなさい
 「セックスをしているとき、コントロールしてはいけない。コントロールするのをやめて、カオスのなかに入りなさい。それは怖いかもしれない、恐ろしいかもしれない。なぜなら、それはある種の死だから。そして心(マインド)は言うだろう、『コントロールしなさい!』そして心は言う、『飛び込んでいってコントロールしなさい、さもないと底なし沼に飲み込まれるぞ』心に耳を貸してはいけない、のめり込みなさい。自分を完全に投げ出して、どんなテクニックも使わなかったら、あなたは時間を超えた経験に行き当たるだろう。そこには二つのものはなく、ひとつのものしかない。意識がそこにあり、透明で受動的な意識がそこにあり、あなたは完全に目覚めているために、なにが起こっているのかわかっている。しかし、あなたはそこにいない。気づきがそこにある。
 あなたはタントラのスピリットを取り込まなくてはいけない――それは学ぶべきテクニックではない」
Osho, This Very Body the Buddha, Vol. 1, Talk #8 より抜粋


タントラ・セックスとはなにか
 「タントラは自然に神に至る道、無理をせず神に至る道だ。究極の自然と溶け合うために、完全に本能的になること、無心になることが目標だ――女性は消えうせて究極なるものへの扉となり、男性は消えうせて究極なるものへの扉となる。
 タントラは人間のセクシュアリティを定義して言う――それは絶対的な無垢、絶対的な『ひとつ』への回帰だ、と。最良の性的な興奮とは、興奮を探し求めることなく、ただ静かに待つことだ――完全にリラックスして、まったく無心になって。人は意識的になる、意識的であるために意識的になる。人は意識そのものだ。人は満ち足りているが、なにかに満たされているのではない。そんなとき、そこにはすばらしい美が、すばらしい祝福がある。
 質問者は尋ねている、『タントラ・セックスとはなんですか……特定の技法に基づく瞑想的なセックスでしょうか?』
 テクニック志向になりすぎたら、あなたはタントラの神秘を見逃してしまう。技法に基づくのは偽のタントラだ。というのも、技法があるかぎり、そこにはエゴがあって、コントロールしているからだ。そのとき、あなたがそれをやっている――そして『する』ことが問題だ、『する』ことは行為者を生む。タントラは無為でなければならない。それは技法的なものではけっしてない。技法なら学ぶことができる――性交が長引くように特定の呼吸法を習うことができる。とてもゆっくり呼吸したら、急がないで呼吸したら、性交は長引くが、あなたはコントロールしている。それは野生的ではない、無邪気なものではない、また瞑想的でもない。それは心(マインド)のものだ――どうしてそれが瞑想になる? 心がコントロールしている。あなたは早く呼吸することさえできない、呼吸をゆっくりに保たなければならない――呼吸がゆっくりだったら射精には時間がかかる。なぜなら、射精が起きるには呼吸が早く、乱れたものにならなければいけないからだ。とはいえ、これはテクニックであってタントラではない。
 タントラはテクニックではなくて祈りだ。それは頭脳志向ではなくてハートへのリラクセーションだ。それを覚えておきなさい。タントラについて多くの本が書かれてきた。それらはみんなテクニックについて語っているが、ほんとうのタントラはテクニックとはなんの関係もない。ほんとうのタントラは書くことができない、ほんとうのタントラは身につけなければならない。ほんとうのタントラをどうやって身につけるか? あなたは自分のアプローチ全体を変容させなければいけない。
 セックスのことなどなにも考えずに、女性とともに祈り、女性とともに歌い、女性とともに戯れ、女
性とともに踊りなさい。『いつベッドに行こうか?』なんて考えていてはいけない。そのことは忘れなさい。ほかのことをやり、それに夢中になりなさい。その夢中になる状態のなかから、ある日、愛が起こってくるだろう。突如、あなた方は見るだろう、自分たちは愛を交わしているが、それをやっているのは自分ではない。それは起こっている、あなたはそれに取りつかれている。そのとき、あなたは初めてタントラを経験する――あなたよりも大きなものに占有されている。あなた方はダンスしていたかもしれない、いっしょに歌っていたかもしれない、いっしょに詠唱していたかもしれない、いっしょに祈っていたかもしれない、いっしょに瞑想していたかもしれない。そこで突然、自分たち二人が新たなスペースに入っていることに気がつく。そしていつの間にか知らないうちにセックスを始めていた。そのことを覚えてもいない。そのときあなたはタントラのエネルギーに占有されている。そこで初めて、あなたはテクニックではない経験とはなにかを知る」
Osho, This Very Body the Buddha, Vol. 1, Talk #8 より抜粋



タントラは今のままのあなたを信頼する
 「このタントラの洞察は人間が夢見たヴィジョンのなかでも最高のもののひとつだ。それは聖職者なき宗教、寺院なき宗教、組織なき宗教だ。個人を殺さず、『個』をこの上もなく尊重する宗教、ふつうの男性と女性に信を置く宗教だ。そしてこの信頼はとても深くまで達する。タントラはあなたの肉体を信頼する。他の宗教はあなたの肉体を信頼しない。そして宗教が肉体を信頼しないとき、それらはあなたと肉体のあいだに断裂をつくりだす。あなたを自分の肉体の敵にし、肉体の知恵を破壊しはじめる。
 タントラはあなたの肉体を信頼する。タントラはあなたの感性を信頼する。タントラはあなたのエネルギーを信頼する。タントラはあなたを信頼する――今のあなたのままで。タントラはなにひとつ否定することなく、あらゆるものを変容させる。
 このタントラのヴィジョンにどうやって到達したらいいだろう? ここに、あなたを方向転換させて、あなたを内に転じさせ、彼方へと向かわせるための地図がある。
 最初に肉体がある。肉体はあなたの基本、あなたの基盤、あなたが根を張る地盤だ。肉体に敵対させれば、あなたは破壊され、分裂し、惨めになり、地獄がつくりだされる。あなたは肉体だ。もちろん、肉体以上のものだが、その『以上』は後で起こることだ。最初、あなたは肉体だ。肉体はあなたの基本的な真実だから、肉体に対立してはいけない。肉体と対立したら、神と対立するしかない。肉体を尊重しなければ、現実との接点を失うしかない。なぜなら、肉体はあなたの接点、肉体はあなたの橋だから。肉体はあなたの寺院だ。
 タントラは肉体への敬意を教える。肉体を愛し、尊重し、肉体に感謝しなさい。肉体は奇跡的だ、それはもっとも偉大な神秘だ」
Osho, Tantric Transformation, Talk #7 より抜粋



最初に肉体を浄化しなさい、とタントラは言う
 「タントラは言う、最初に肉体を浄化しなさい――そのすべての抑圧を浄化しなさい。肉体的なエネルギーが動くのを許し、ブロックを取り除きなさい。ブロックがない人間に出会うことはめったにない、肉体がこわばっていない人間に出会うことはめったにない。そのこわばりを解きほぐしなさい。その緊張があなたのエネルギーをブロックしている、その緊張があるかぎり流れることはできない。どうしてだれもががちがちにこわばっているのか? あなたはどうしてリラックスできないのか? 眠っている猫を見たことがあるかね、昼寝をしている猫を? 猫はなんとたやすく、なんと美しくリラックスしていることか。あなたも同じようにリラックスできないものか? あなたは寝付けなくてベッドで寝返りを打つ。くつろぐことができない。猫のくつろぎのすばらしいのは、完全にくつろいでいるにもかかわらず、完璧に醒めていることだ。部屋のなかでちょっとした動きがあっても、猫は目を開けて、今にも跳びかかろうとする。ただ眠り込んでいるのではない。猫の眠りは学ばれるべきだ。人間は忘れている。
 タントラは言う、猫から学びなさい――その眠り方、リラックスのしかた、その緊張のない生き方を。動物界のすべてが、この緊張のない生き方をしている。人間はこれを学ばなければいけない。というのも、人間は間違った条件付けを受け、間違ったプログラムをされているからだ」

Osho, Tantric Transformation, Talk #7 より抜粋

タントラは哲学ではない
 「タントラは哲学ではない、タントラはこの上もなく実存的だ。そしていいかな、タントラは実存的だと言うとき、私はサルトル、カミュ、マルセルその他の実存主義のことを言っているのではない。実存主義もまた哲学だ、実存の哲学だ。しかし、タントラの道は違う。そしてこの違いはとても大きい。
 西洋の実存主義哲学は否定的なものに行き当たったにすぎない――苦悩、不安、憂鬱、悲哀、煩悶、絶望、無意味さ、無益さ――すべて否定的なものだ。タントラは美しいもの、楽しいもの、幸せなものに行き当たった。タントラは言う、実在はオルガスムだ、いつまでも終わることのない永遠のオルガスムだ。それはどこまでも果てしなく続いていくオルガスム、エクスタシーだ。
 彼らはきっと別の方角に向かっているのだろう。サルトルは実存について考えつづける。タントラは言う、思考は扉ではない、と。それはどこにも行き着かない、それは袋小路だ。あなたを行き止まりの道にしか連れて行かない。哲学はすばらしい――のらくらやっていたいなら、哲学はもってこいだ。モグラ塚を山と見なし、その妄想を楽しめばいい……。
 哲学がきわめてむなしい努力であることはだれもが知っている……だが、それでも人間は続けていく、それがなにももたらさないことを十分に承知の上で。どうしてだろう? それは約束しつづけるが、なにひとつ与えてくれない。だとしたら、どうして人間はこの努力を続けていくのか? それは安上がりなのだ。それはなんの関与も求めない、それはコミットメントではない。あなたは椅子に座って考えつづけるだけ。それはひとつの夢だ。現実を直視するためにあなたが変わることを求めない。
 まさにそこで勇気が必要になる、冒険的な勇気が必要になる。真理を知るため、あなたは最大の冒険に足を踏み入れる。迷子になってしまうかもしれない、だれにわかる? 二度と戻ってこれないかもしれない、だれにわかる? あるいは、完全に人が変わって戻
てくるかもしれないが、それがよい変化なのかどうか、だれにわかる?」
Osho, Tantric Transformation, Talk #9 より抜粋


サラハはタントラの創始者だ
 「サラハは仏陀のおよそ二世紀後に生まれた。彼は異なる支脈の直系だった。ひとつの支脈はマハーカーシャパからボーディダルマへ行き、そして禅が生まれた――そしてそれは、その支脈はいまだにたくさんの花々を咲かせている。別の支脈は仏陀から息子のラーフラ・バドラへ行き、ラーフラ・バドラからシュリ・キルティ、シュリ・キルティからサラハ、そしてサラハからナーガルジュナへ行った――これがタントラの支脈だ。それはいまだにチベットで果実を結んでいる。タントラはチベットを教化し、ボーディダルマが禅の創始者となったように、サラハはタントラの創始者になった。ボーディダルマは中国、朝鮮、日本を手中に収め、サラハはチベットを掌握した。
 これらのサラハの歌にはすばらしい美しさがある。それらはタントラのまさに基盤だ。あなたはまずタントラの生への態度、タントラの生のヴィジョンを理解しなければならない。タントラにかんしてもっとも基本的なこと――そしてとても革新的で、革命的で、反逆的なこと――その基本的なヴィジョンは、世界は高いものと低いものに分かれるのではなく、世界はひとつながりのものだということだ。高いものと低いものは手を握りあっている。高いものは低いものを含み、低いものは高いものを含んでいる。高いものが低いもののなかに隠れている――だから低いものは否定されるべきではなく、非難されるべきではなく、壊されたり殺されたりすべきではない。低いものは変容されなければいけない。低いものは上昇を許されなければならない……そうやって低いものが高いものになる。悪魔と神のあいだに橋渡しできない断絶はない。悪魔はハートの奥深くに神を宿している。そのハートがいったん働きはじめれば、悪魔は神になる。
 悪魔(devil)という言葉の語源が神(divine)と同じ意味なのはそのためだ。悪魔という言葉は神から来ている。それはまだ進化していない神、それだけ違いだ」
Osho, The Tantra Experience, Talk #1 より抜粋


サマーディとセックスは同じエネルギーの表れだ
 「タオ(道)にも独自のタントラがある。第一に、タオは低いものと高いものに分けない、それがその美しさだ。現実(リアリティ)を低いものと高いものに分けたとたんに、あなたは分裂症になっている。あるものは神聖であるものは世俗だと言ったとたんに、あなたは分けている。あるものは物質的であるものは精神的だと言ったとたんに、あなたは分けている、現実を二分している。現実はひとつのものだ。物質もなければ精神もない。現実はひとつだ。それは自らを多くの形に表現している――ひとつのレベルでは物質であり、別のレベルでは精神的だ。精神的なものが高いのではなく、物質的なものが低いのではない――それらは同じ地平に立っている。これがタオイストの態度だ。生はひとつだ。実在はひとつだ。それはどこまでもひとつのもので、境目はない。
 タオでは、最初に二元性が落とされる。セックスは低くはない、サマーディは高くはない。サマーディとセックスはどちらも同じエネルギーの表れだ。サマーディに賞賛されるべきものはない、セックスに非難されるべきものはない。タオの受容は全面的で、絶対的だ。肉体にとりわけ悪いところがあるわけではない、精神にとりわけ美しいところがあるわけではない――どちらも美しい。タオでは、悪魔と神はひとつのものだ。タオでは、天国と地獄はひとつのものだ。タオでは、善と悪はひとつのものだ――それはもっとも優れた非二元的な理解だ。そこに非難はなく準備もない。なんのための準備か? 人はただくつろいで、ただそこにあればいい」
Osho, Tao: The Pathless Path, Vol. 2, Talk #4 より抜粋


セックスからタントラへ――大いなる革命
 「さて、ここでひとつ、いつも心しておかねばならないことがある――十分に注意していないと、自分はタントラに入っていくのだと、あなたは信じつづけるかもしれないが、あなたは自分のセクシュアリティを正当化しているにすぎないかもしれない――それはただのセックスで、タントラの用語で正当化しているだけかもしれない。気づきとともにセックスに入っていけば、それはタントラに変わるかもしれない。無意識とともにタントラに入っていけば、それは堕落してふつうのセックスになるかもしれない。それがインドで起こった――というのも、それが試みられたのはインドだけだったからだ。
 インドのタントラ派はいずれも、早い遅いの違いはあるが、セックスの乱交に堕してしまった。気づきを保つことはとても難しい……気づきを保つことはほとんど不可能だ。いちばん最初から規律があなたのごく深いところにまで達していなければ、あなたが自分を欺きはじめることは十分にありうる。インドではタントラ派が大変な勢いで、深い洞察を携えて興隆してきた。彼らにはなにかがあった――というのも、それは人間が達しうる最高の中枢なのだから。第七は超人的だ、第七は神のものだ。第六は精神の中枢だ。
 セックスからタントラへ、偉大な革命、転換が人間に起こるかもしれない。そして東洋では、セックスをしているときに瞑想的になれば、そのセックスの質が変化し、なにか新しいものがそこに入ってくる、ということに人びとは気がついた――それはタントラになり、祈りに満ちたものとなり、瞑想的なものになる……それはサマーディになる」
Osho, The Divine Melody, Talk #6 より抜粋



タントラはセックスを利用し、それより高く上昇する
 「タントラはセックスを使って、それより高く上昇するが、それを利用している。セックスは道具になる。バウルは、それではいささか敬意を欠いている、と言う。『どうしてなにかのエネルギーを利用することができよう? どうしてあるエネルギーを手段として使うことができよう?』彼らはセックスを手段に使わない。彼らはそれを歓び、それを楽しむ。彼らはそれをひとつの礼拝にするが、どのようなテクニックも用いない。それはテクノロジー的なものではない。彼らはそれを愛し、そして愛を通じて変容がひとりでに起こる。
 タントラでは、あなたは執着しないことが求められる。セックスをサマーディへ向かう手段として使っているときでも、あなたはセックスに執着しないでいなければならない。研究室で実験している科学者のように、完全に中立的で、純粋な観察者、目撃者にとどまらなければいけない。事
実、タントリカは言っている、タントラの技法を愛する女性に使ってはいけない、と。なぜなら、愛が妨げになるからだ。あなたは執着しすぎてしまう。あなたは超然として、その外側にいることができない。だからタントリカたちは、完全に観察者の立場にとどまれるように、いっさい恋愛関係にはない女性を見つける」
Osho, The Beloved, Vol. 1, Talk #1 より抜粋



タントラでは、楽が正なり
 「タントラは自然な道だ。ゆったりと自然でいることが目標だ。あなたは流れと闘わなくてもいい。ただそれとともに行き、それとともに流れる。川は海へ向かっているのに、どうして闘う? 川とともに流れ、川とひとつになりなさい、明け渡しなさい。明け渡しがタントラのキーワードだ。意志はヨーガのキーワードだ。ヨーガは意志の道だ。タントラは明け渡しの道だ。
 タントラが愛の道であるのはそのためだ――愛は明け渡しだ。これが最初に理解されるべきことだ。そうすれば、ティロパの言葉はとても明瞭で、明晰なものとなる。タントラの別の次元が理解されなければならない――垂直の次元、明け渡しの、闘わない、ゆったりと自然な、くつろいだ次元――荘子の言う『楽は正なり』が。ヨーガでは、難しいことが正しい。タントラでは、楽なことが正しい。
 くつろいで楽にして、なにも急がなくていい。全体そのものが、あなたをひとりでに運んでくれる。あなたは個人的な奮闘をしなくていい、予定より早く到着することを求められていない、その時機が来たら到着するだろう――待っていればいい。全体は動いていく。どうして急ぐのか? どうして他人より先に着きたがるのか?」
Osho, Tantra: The Supreme Understanding, Talk #6 より抜粋


セックスエネルギーは神聖なエネルギーにほかならない
 「キリスト教はセックスを堕落にすぎないものとするが、タントラはセックスこそ正しい答えだと考える。キリスト教とタントラはまるきり正反対だ。キリスト教だけではない。ユダヤ教やその他の多くの宗教もセックスに反対する。彼らはある理由から反対する。その理由とは、50パーセントの堕落の可能性があるからだ。それは危険なものだ。
 だから、この50パーセントの堕落が可能とならない、もっと別の旅のやり方を試してみることだ。それは計算上は50パーセントだ。実際にはそれは99パーセントだ。というのも、セックスはとても魅力的なものだから、そしてセックスは無意識の力でもあるから、醒めていること、瞑想的でいることが難しいからだ。それを実験しているあいだに、あなたは無意識になってしまう。そしてオルガスムで無意識になれば、それはどこにも導いていかない。
 99パーセントの確率で、あなたはセックスを通じて堕落する。あなたが高まる可能性はたった1パーセントだ。だが、タントラは言う、その堕落の比率は正しい技法を通じて減らすことができる、男性や女性は訓練を受けることができる。そうすれば愛を交わすことがひとつのアートになる――偉大なアートに。そのアートを知っていれば、あなたはとても慎重に、ごく繊細にアプローチする。そうすれば、それはたんなる一時的な解放、気晴らしではなくなる。それは神聖な礼拝になる……。
 セックスは答えを与えてくれるが、あなたがとても知性的になって初めて、セックスは答えを与えてくれる。知性的な時代には必ずセックスを通じて問いかけがされる。頭脳に行き過ぎてしまったら、もう一方の極端に引き下がらなければならない。そうして初めて内なる対極が出会って、あなたは統一される……。
 なセックスの経験、瞑想的なセックスの経験を通じて、あなたはやがて知ることになる、このセックスエネルギーは聖なるエネルギーにほかならない、と。そのとき、セックスがサマーディになる」
Osho, The Supreme Doctrine, Talk #14 より抜粋


タントラは宗教ではない
 「タントラは宗教ではない。というのも、宗教は基本的に手段だから。神聖なものが動物的なものに対立している――だから宗教は葛藤に巻き込まれずには済まない。タントラは闘争的なテクニックではない、それは超越のテクニックだ。それは動物的なものと闘わない、それは神聖なものの味方にはならない。それは二元性に反対する。それは実際のところ賛成でも反対でもない。それはあなたのなかに第三の勢力、実在の第三の中心をつくりだす。そこではあなたは動物的でもなければ神聖でもない。タントラにおいて、その第三の地点はアドヴァイタだ、その第三の地点は非二元だ。タントラは言う、二元性を闘い抜くことで、ひとつのものへ到達することはできない。二元性の闘いのなかで、ひとつのものを選ぶことで非二元の地点へ至ることはできない。選択は、あなたをひとつのものに導かない。無選択の観照だけだ。
 これはタントラにはとても基本的なことだが、そのために、タントラはほんとうの意味で正しく理解されたことはなかった。それは長いあいだ、何世紀にもわたって誤解をされてきた。というのも、タントラが動物的なものに対立しないと言ったとたんに、タントラは動物的なものに賛成なのではないかと、あなたは感じはじめるからだ。そしてタントラが神聖なものに味方しないと言ったとたんに、だったらタントラは神聖なものに対立するのかと、あなたは考えはじめるからだ。実際には、タントラは無選択の観照に賛成する。動物のがわにつくのではないし、神のがわにつくのでもなく、葛藤をつくりださないこと。ただ引き下がり、ただ遠ざかり、あなたとこの二元性のあいだに隙間をつくり、第三の力、観照となり、そこから動物的なものと神聖なものの両方を見るがいい」
Osho, The Book of Secrets, Talk #59 より抜粋


セックスはセックスだ、とタントラは言う
 「禁欲に基づく教えがある――ブラフマチャリアだ。ブラフマチャリアは良いもので、セックスは悪いものだ、と彼らは言う。タントラはセックスはセックス、ブラフマチャリアはブラフマチャリアだと言う。ある人はブラフマチャリ(修行者)だが、ある人はそうではない。だが、これらのことは単純な事実で、それにはなんの評価も付きまとっていない。そしてタントラはけっして、ブラフマチャリアは良いものだ、独身主義は良いものだ、セックスをするのは悪い人だ、とは言わない。タントラはそうは言わないだろう。タントラは物事をあるがままに受容する。なんのため? あなたのなかに統一をつくりだすためだ。
このテクニックは、あなたのなかに統一をつくりだし、内側に分断されていない、葛藤していない、対立していない
面的な存在をつくりだす。そのとき初めて静寂が可能になる。なにかに対立してある場所へ到達しようとする人はけっして安らげない。どうして彼が安らげようか? そして内側が分断され、自分自身と闘っている人、どうして彼が勝てようか? それは不可能だ。どちらもあなたなのだ、だれが勝つというのか? だれも勝つ人はいない。そして無用な争いにエネルギーを浪費し、あなたは途方に暮れてしまう。これはあなたのなかに統一をつくりだすテクニックだ。谷が消えていくのを許しなさい。価値判断をしてはいけない」
Osho, T he Book of Secrets , Talk #41 より抜粋


タントラは最初から始める
 「タントラは言う、セックスがとても深いのは、それが生命だからだ。だが、あなたは間違った理由からタントラに興味をもつかもしれない。間違った理由からタントラに興味をもってはいけない。それなら、あなたがタントラは危険なものだと感じることはない。それなら、タントラは生を変容するものになる……。
 こんな質問をされた。「タントラが追求するテーマはなんですか?」その答えはあなただ! あなたがタントラが追求するテーマだ――今現在のあなたはなにか、あなたのなかに隠れている成長できるものはなにか、あなたとはなにか、なにでありうるのか。たった今、あなたはセックスの単位だ。この単位(unit)が深く理解されないかぎり、あなたは精神(spirit)になれない。あなたは精神的な単位になれない。性的なものと精神的なものはひとつのエネルギーの両端だ。
 ヨーガは最後の目的からスタートする。タントラは最初から始める。そして最初から始めるほうがいい。いつであれ最初から始めるほうがいい。というのも、最後の目的から始めるとしたら、あなたはわざわざ無用な苦しみをつくりだすからだ。あなたは最終的な到達地点ではない――理想的なものではない。あなたは神に、理想にならねばならないが、今のあなたは動物にすぎない。そしてこの動物は神という理想のゆえに凶暴になる。それは狂ったようになり、おかしくなってしまう。
 タントラは言う、神のことは忘れなさい。あなたが動物だとしたら、その動物をとことん理解しなさい。そのまさに理解のなかから、神が育っていくだろう。そしてその理解を通じて神が育っていかないのなら、神のことなど忘れてしまいなさい。そんなものはなかったのだ。理想はあなたの可能性を引き出すことができない。現実的な知識しか役には立たない。だから、あなたがタントラの追求するテーマだ、今のあなたとありうるあなた、あなたの現状とあなたの可能性――それらが中心的なテーマだ。
 ときに人びとは心配になる。タントラを理解したいのだが、神が話題に上らない、モクシャ、解脱が話題に上らない、ニルヴァーナが話題に上らない。タントラはいったいどんな宗教なのか? タントラはあなたが嫌悪するような話題を取り上げる、話題にしたくないことを。だれがセックスを話題にしたがるだろう? みんなそんなことはよくわかっていると思っている。子どもをつくることができるから、自分はわかっていると思っている……。
 だれもセックスについて話したがらないが、だれもがセックスの問題を抱えている。だれも愛について話したがらないのは、自分はすでにとても愛情深いと、だれもが感じているからだ。ところが、自分の人生を見てみなさい! 憎しみ以外のなにものでもない。そしてあなたが愛と呼ぶものはどれも憎しみの休憩、小休止にすぎない。身の周りを見てみなさい、自分が愛についてなにを知っているか気がつくだろう」
Osho, The Book of Secrets, Talk #32 より抜粋


肉体を知れ、とタントラは言う
 「だから、このようなセックスに対立する伝統は肉体にも対立している。セックスに対立しない伝統は肉体に友好的になるしかない。タントラはこの上もなく友好的だ。肉体は神聖なものだ、神々しいものだ、とタントラは言う。タントラにとって、肉体を非難することは冒涜的だ。肉体は不浄だ、肉体は罪だという主張は、タントラからすればナンセンスだ――とても有害な教えだ。タントラは肉体を受け容れる――受け容れるだけでなく、肉体は神聖で、汚れがなく、罪のないものだと言う。あなたはそれを利用し、それを乗り物にすることができる、超越のために! 肉体は超越の手助けすらしてくれる。
 だが、肉体と闘うところから始めたら、あなたは迷子になってしまう。それと闘いはじめたら、あなたはますます病的になっていく。それに肉体と闘いつづけたら、あなたは機会を逃してしまう。闘うことは否定的だ。タントラは肯定的な変容だ。それと闘ってはいけない、そんな必要はない。それはまるて車のなかに座って、車と闘いはじめるようなものだ。それでは前に進むことができない、乗り物と闘っていたのでは――それは敵対するのではなく、使われるべきだ。そしてあなたは闘いによって乗り物を壊してしまう、そうなれば前進することはなおいっそう難しくなる。
 肉体は美しい乗り物だ――とても神秘的で、とても複雑だ。それを使いなさい、それと闘ってはいけない。それを助けなさい。それに対立した瞬間、あなたは自分と対立している。どこかに行こうとする人が、自分の足と喧嘩し、それを切り落としてしまうようなものだ。タントラは言う、肉体を知り、その秘密を知りなさい。そのエネルギーを知り、そのエネルギーをどのように変容できるかを知りなさい――それをどのように動かし、異なる次元へ入らせるかを。
 例えば、セックス、それは肉体の基本的なエネルギーだ。ふつうなら、セックスエネルギーはたんに繁殖のために使われる。ひとつの肉体が別の肉体をつくり、それがどこまでも続いていく。セックスエネルギーの生物学的な有用性は繁殖にとどまる。だが、それは使い道のひとつにすぎない、それも最下位の。否定的なニュアンスはまったくないが、それがいちばん低い。その同じエネルギーが別の創造的な行為をすることもできる。繁殖は基本的な創造行為だ――あなたはなにかをつくりだす。母親になった女性が微妙な幸福感を覚えるのはそのためだ。彼女はなにかをつくりだした……。
 タントラには、どのような非難もなく、いかに変容するかの秘密のテクニックしかない。タントラがこれほど肉体について語るのはそのためだ――それは必要とされる。肉体は理解されなければならない。あなたは自分が今いるところからしか始められない」
Osho, The Book of Secrets, Talk #20 より抜粋


タントラはすべてを受け容れる
 「タントラはすべてを受け容れる
どんなものでも、こころの底から受け容れる。タントラがセックスを全面的に受け容れることができたのはそのためだ。この五千年間で、タントラはセックスを全面的に受け容れた唯一の伝統だった、世界中でこれだけだった。なぜだろう? それはセックスがあなたの今いる地点であり、どんな動きもあなたが今いる地点から始まるからだ。
 あなたはセックスの中枢にいる。あなたのエネルギーはセックスの中枢にある。そしてその地点から上昇しなければならない、はるか彼方にまで。この中枢そのものを拒否すれば、進んでいると自分をだましつづけることはできても、一歩も進んではいない。あなたは進むことが可能な唯一の地点を拒否している。だからタントラは肉体を受け容れ、セックスを受け容れ、あらゆるものを受け容れる。そしてタントラは言う、知恵はあらゆるものを受け容れ、それを変容させる。無知だけが拒否する。無知だけが拒否し、知恵はあらゆるものを受け容れる。毒ですら薬になるが、知恵を通さなければならない。
 肉体は肉体を超えたものへの乗り物となるし、セックスエネルギーは精神的な力になる」
Osho, The Book of Secrets, Talk #20 より抜粋


あるがままの自分を受け容れなさい、とタントラは言う
 「タントラは言う、あるがままの自分を受け容れなさい。あなたは多くの多次元的なエネルギーの大いなる神秘なのだ。それを受け容れ、そのあらゆるエネルギーとともに動きなさい、深い感受性、気づき、愛、理解とともに。それといっしょに動きなさい! そうすれば、あらゆる欲望がそれを超えるための乗り物になる。そのとき、あらゆるエネルギーが助けになる。そしてそのとき、このまさに世界がニルヴァーナ、このまさに肉体が寺院となる――神聖な寺院、神聖な場所に。
 ヨーガは否定だ。タントラは肯定だ。ヨーガは二元性の語彙で考える――だからヨーガという言葉がある。それは二つのものをひとつにするという意味だ、二つのものをいっしょに「つなぐ yoke」という意味だ。だが、そこには二つのものがある。二元性がそこにある。二元性はない、とタントラは言う。二元性があれば、それらをつなぐことはできない。どんなに努力しても、それらは二つのままだ。どんなにくっつけようとしても、それらは二つのままで、闘いが続き、二つのものがとどまる。
 世界と神が二つのものなら、それらをひとつにすることはできない。それらがほんとうは二つではなく、二つに見えているだけなら、そのとき初めてそれらはひとつになりうる。あなたと神が二つのものなら、それらをくっつけられる可能性はない。それらは二つのままだろう。
 二元性はない、とタントラは言う。それは見かけにすぎない。だったら、どうして見かけをよりもっともらしくしようとするのか? 今すぐやめてしまいなさい! ひとつでいなさい! 受容を通して、あなたはひとつになる、争いを通じてではなく。世界を受け容れなさい、肉体を受け容れなさい、それに内在するあらゆるものを受け容れることだ。自分のなかに別の中心をつくらないことだ。というのも、タントラにとって、その別の中心とはエゴにほかならないからだ。エゴをつくってはいけない。あるがままの自分を意識しなさい。闘うとき、エゴがそこにある」
Osho, The Book of Secrets, Talk #2 より抜粋

カミュ 80年代は8チャンネル

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カミュ 清潔で美しくすこやかな毎日を目指す

ママよ。

今日は久しぶりに、ライブレポートとかそういうものじゃないものを書いてみようと思います。

真面目に書こうとしているのに、

「ママよ。」

って切り出しで一気に出落ち感。

エンガブといえば、毎回何かあるごとに大ごとのように

ブログを書いてみたり、動画あげてみたり、ツイートしてみたりするユニットなんですけれども。

「これに人生懸かってます。」

的な感じで毎回大騒ぎしているという。

ヲカマなんてそんなもんなんだれども。

ほらドラマティックにしたがるじゃない?何でも。

服屋の「閉店セール」みたいなものよね。

”いつかは”「閉店」”しますよそりゃ”セール。

でですね。

特に私、そういうことをブログで書いてしまったりするんですけど。

気持ちは甲子園球児に匹敵するくらい暑苦しいのよ。

私、エンガブ始めた時にメンバーに言ったんですけど

「これが僕の音楽人生最後のユニットで、最後の賭けなんです。」

って。

だから、嘘じゃなくて。気持ちは。

エンガブのすべての出来事や挑戦は、

私の中で、全部最後の賭けなんです。

重。

自分でリミット決めなくてもいい。っていう人もいるじゃないですか。

私もそう思ってずっと音楽やってたんです。

サラリーマンになる姿も想像できないし

飲み屋で働いてる姿も想像できないし

ステージ立ってる姿しか想像できないし

親にも散々迷惑とか心配かけたし

いつまで音楽やってんのって笑われたりしたの悔しかったし

それでも応援してくれた人がいたし

でも、ある日ある時思ったんです。

「あ、このままこれやってたら、子供の頃に想像してた自分になれない。私は中森明菜(敬称略)になれない。」

って。

嗚呼生まれながらのゲイ。

ドウモアリガト。

その時に、じゃぁどうしたらこの自己満の世界から出ていけるのかな。

って考えました。

厳密にいうと「自己満で他人を楽しませて生きていけるかな。」っていうところです。

それは、結果、「エンターテイメント」ですよね。

私の世界のエンタメのダメだったところ。

それは、

「格好つけ過ぎて自分がわからなくなってたところ。」

「結局自分を否定してたところ。」

かなって。

コンプレックスとか、自分の嫌いなところを

全部いかにうまく隠してカッコよく見せるか。

っていうところにかなりのプライオリティを割いていた気がします。

そうしたら、他が疎かになるの、当たり前ですよ。

それで、自己分析して、どうやって夢を現実にできるかって考えて、

たどり着いたんです。

「エンガブ」に。

「ゲイ」だってこと、プライベートではオープンにしていたつもりです。

でも「souljuice」でやる時、そんなこと言いませんでした。

必要もなかったと思います。

そういう色眼鏡で見られるのが嫌で、フィルターがかかるのも嫌だった。

でも、夢の最後にたどり着くのに、それってすごく下らないこだわりだった。

目指すゴールのプロセスがどんなだっていいじゃない。

私、今までそんな綺麗に生きてきてない。

何のフィルターが掛かったって、どう思われたって

最後に望むものが手に入ったらそれが一番嬉しいじゃないか。

そう思った時に、やりたいことが、ブワーーーー!!っと

洪水のように頭に溢れてきて、そしてやることがはっきりしました。

私、今までに「ユニット」というグループでの活動をたくさんしてきました。

直近では「ZEUS」というユニットだったり

その前も両手に余るくらいのグループでステージに立ちました。

全部のユニットが大事だったし、一緒にやってたメンバーを大事に思ってる。

私は、グループが好き。

いくつかの違うものが重なって一つになる快感が好き。

だから、溢れたイメージの中にはグループというものは

マストで入っていました。

だから、二人が目の前に現れて、私は本当に嬉しかった。

言い方選ばないで言えば、

私の前にヒデキとカミュが現れて

一緒になった瞬間に私は、勝った。

私はね、そう思っている。

私の人生最後の勝負がこうやって始まったんです。

そして、3人で始めたエンガブに

応援してくれるGAViiが現れてくれた。

賛同して協力してくれる方々が現れてくれた。

先月あたりから、「アルバム製作中」って言ってて

いまだに製作中とか言ってて

「発売決定してんのにどんだけギリギリまで制作に時間かかってんだよ。」

って思いますよね。

今回のアルバム、私たちの初めての音源集で

それだけでも一大事なのに

その作品に、私たち以外のプロフェッショナルの方々がたくさん協力してくれています。

その一人一人の方に本当に感謝しています。

「エンガブ、楽しいね。頑張ってるね。一緒にやろうよ。」

って、言ってくれたのよ。

言ってくれたのよ!!

私たち、エンガブ初めて一年とかかもしれない。

でも、その前からずっとずっと

ヒデキもカミュ

何年も

一人きりで、ずっと泣きたいの堪えながら

「人と違うって素敵」とか

「オネエサイコー」とか言って

転ばないように、足が止まらないように

やってきた。

お願いします。って言いながら。

それで、「一緒にやろうよ!助けてあげるよ!」

って、その言葉をずっと待ってたのかも。

だから、「エンガブ」に今、手を差し伸べてくれた全ての人の気持ちに

全力で報いた
、答えたいから。

私たち、ギリギリまでこのアルバムと、リリパに全神経注いでます。

今までの曲が、ライブじゃなくて

その手元に届いた時に「もっとカッコよく聴こえるように」

この物体が手元に届いた時に「ずっと眺めたくなるように」

CDジャケットも盤面デザインも全部自分たちで作っています。

曲も全部自分たちで書いています。

着てる洋服も全部たちでアイディア出して作ってもらっています。

様々な方の手を借りながら。

皆様に私、ママが伝えたいのは

このアルバムは

「エンガブの始まりでしかないけれども、今の3人の想いの全てです。」

ということです。

どんなアーティストも出すCDに全ての想いを込めている。

それと同じ。

発売を楽しみにしていてください。

そして、リリースパーティーに

来なさい。

制作も終盤に差し掛かって、どうしても

こんな沸騰している気持ちを伝えたかった、私

ママよ。


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RT @mk_llllx: 【交換】うたプリ シャニスト SHINING STORE 缶バッジ Love Pop Candy Fresh Shower

譲:
LPC 嶺二2
FS 翔 トキヤ カミュ
求:LPC 藍

纏めての方優先です。
日により池袋手渡し、郵送可能です。…

@HAWKS53973044 お母様に感謝✨感謝✨

カミュさんゆっくり休んでね!!

ベロニカに「たまにはあんたも役に立つじゃない」って言われたカミュがどや顔してんの可愛かったな
「たまにはってなんだよ💢」とか言うパターンかなと思ってたけど

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