何故Googleは永眠を採用したか

何故Googleは永眠を採用したか

ダメ人間のための永眠の7つのコツ

私は手続きに追われる中で、

パパの除籍になった戸籍謄本や死亡の記載がある住民票を見て、本当にいなくなったんだと
現実を突きつけられる中、
自宅に帰っても祭壇があるために、
やっぱりパパが亡くなった事実を認識しなければならなくて。
悲しみに浸って、
毎日泣いて何もできなくなるのでは…と恐れていたけれど、
子供たち3人がいて、
私が守らないとという母性だけで
突き動かされています。
ただ、逆にパパが亡くなったことを日がたてばリアルに感じられない時間もなぜかあって、
精神的には訳がわからない状態ではあります。
亡くなって1週間経つけど、
昨日だったような、
もっと前のことだったような感じです。
そんな中、看取りから通夜、葬儀まで、
私につられて涙しながらも気丈さを保っていたこどもたち。
こどもたちからみた祖母や叔父が帰って、
私とこども3人になってからのことです。
翌日…
大爆発したのは、長男。
パパが亡くなる1週間前に、
スマホを外で遊んでるときに紛失。
ゲームも、友達との連絡もできなくなってた長男。
スマホが見つかったとの警察からの連絡を待っていたのですが…残念ながらなくて、
スマホが欲しい、新しく購入して欲しいとずっと訴えていました。
それをその朝、またしつこく言い出し、
私が断ると…
そこからはもう暴れるし、
叫ぶし、大変で。
小柄とはいえ、中学生の男の子。
それなりに力があります。
私も負けずと取っ組み合いでした。
それをきっかけに、長男のパパに対する溢れる思いや後悔がどーっと言葉にして出てきました。
「もっと話したかった。
    パパがほんまはしんどいって、ちゃんと言うてくれてたら、僕はもっと話したのに。
    もう長くないかもしれへんて聞いても、元気やったし話しできてたから大丈夫やと思ってたー。
     完璧な大人なんかおらへんから、パパの病気が治らんのちゃうんかー!」
など、とにかくたくさんたくさんの後悔を
言葉にし、叫び、泣いて、
本当なら、パパに伝えたかったことを
伝えられなかった自分への苛立ちを抱えて
言葉にしていたようでした。
私も、きちんと子供にパパの状態を伝えられてたかどうかと言われると、
もう長くない…とか、
1日1日大切にしてね、とか、
分かりにくい言葉で、抽象的過ぎたと思います。
それが、子供に後悔として残させてしまった。
私の責任です。
ごめんね、こどもたち。
次女は、日曜日の朝、
パパが亡くなってちょうど1週間。
日曜日は、辛いことがあった日だからママを楽にしてあげよう。と、朝から、
「朝ごはん私が作るー!」と
スクランブルエッグを作って、
パパにお供えするごはんのセットにも、
ごはん、お味噌汁、お茶、卵、お漬物、をいれてお供えしてくれて。
わたしにも朝ごはん用意してくれて、
あとの洗い物もやってくれて。
小3。
頑張り過ぎてるのがよくよく分かるから、
こんな小さいのに、
辛い思いさせてごめんなーって、
号泣しながら抱きしめて。
夜は次女は長男とまた些細なことで喧嘩になり、号泣。
「わたしなんて生まれてきても幸せじゃない。
    パパがいるときに戻りたい。」
またそれを聞いて私も辛くなる。
お風呂入って、髪の毛も身体も洗ってあげて、
丁寧に、、、。
ただ、グズり方が半端なかったので、
体調悪いのでは…?
と思いながら。
長女は、溜め込むから、
もっともっと後で…爆発するんじゃないかと
恐れてはいますが、
私と手をつないだり、
私と抱き合ったり、
今までそこまで密にスキンシップをとらなかったので、それを取り戻すかのように…。
私がパパの代わりにならなくちゃ、
と一生懸命になってくれてる。
中2の女の子には背負ってるものが重過ぎるかなと思う。
だから、出来るだけその肩の力を抜かせてあげたいなぁ。
それで、話は次女に戻りますが、
今朝高熱で、病院受診。
インフルエンザ🅰️でした。
なんかもう踏んだり蹴ったりで。
でも、今週はお休みになったし、
ゆっくりした時間にしてあげたいと思います。
本当にたくさんのコメント、
ありがとうございます。
たくさんの方が苦しい思いを
されているのを知りました。
お一人お一人に返したいです。
少しお時間下さい。
あなただけじゃないですよ、
今すぐ抱きしめてあげたい、
涙が出ます、
そんな風に言ってくださって、
とても心強く思います。
逆に、写真をブログ用に添付するなんて考えられない、、みたいなコメントも頂きました。
それくらい冷静になれるなんておかしいということが言いたかったのだと思います。
言われたら、そんな冷静な所があるんだと自分でも気がつきました。
ブログは、もちろん知らない方に見てもらって共感してもらいたいという思いも正直ありますが、
自分が覚えていたくて綴ってる部分も大きいのでそのへんは自分のために自己愛でやってるから冷静なのかなぁ、、、。
考えさせられました。
賛否両論あるかと思いますが、
こうして苦しいときに、
吐き出させてもらえる私にとって本当に唯一の貴重な場所であることには変わりないんです。
嫌な思いをさせてしまったとしたら、
申し訳ないです、ごめんなさい。
今日は、年金事務所に行って3時間かかりました。こどもが3人、書類も多く、大変。
社労士さんが、
「ご主人死んでるから…
    もう…死んだから。」
などと、「死んだ」の言葉連発で、
デリカシーがないなぁと。
せめて「お亡くなりになった」と言ってほしい。
現実にうなだれているときに、
トンカチで頭をゴンゴンされた気分でした。
パパ、書類大変だよ…ショボーン
それに、前に私のブログに書き込みしてくださった方が
「障害年金は在宅酸素療法をはじめてたらもらえますよ」のアドバイス。
それで気になって聞いてみたら、遡ってできるらしく、障害年金も申請することになった。
それプラス、お葬式費用の振込やなんや、
銀行と年金事務所、病院で一日を終えました。
もう少しすすめないと分からんこともあるけれど、慣れないことで、
しかもパパに事務的なこと任せてきた身なので、
アップアップです。
これから、生活を成り立たせるためには、
私も仕事しなくちゃいけません。
前回のブログのコメント頂いたのを、
よくよく読んで考えて、、、
出来る限りこどものことが落ち着いたら、
復帰は早めの方がいいのかなぁと。
とにかく、
仕事はじめると、性格が男なので、突っ走ってしまう。
その前にこどもたちのことを
しっかり見てフォローしたいと思います。

永眠で軽やかに

こんにちは。

日本では雪景色の場所も多いようですね。

交通障害などあると思いますが、みなさま、お気をつけてお過ごし下さいませ☆彡

いつもブログをご覧頂き、誠にありがとうございます☆彡。

こちらネパール・カトマンズは夜間雨が降りましたが朝は晴れました。

このまますっきり晴れてくれるといいな。

ネパール好きというと、「海より山なのね」とたまに言われます。

山も好きですが、海も同じくらい好きです。

大病する前はバリとかプーケットとか、有名なビーチリゾートにもリピートしていました。

泳ぎは得意ではないけど、景色眺めて、トロピカルドリンク飲んで。。

でも今は海水浴は病気の関係でNGです。

海水は雑多な菌に汚染されているし、免疫低下患者にはリスクがある。

全身乾燥の難病・シェーグレエン症候群もあるので、塩水を浴びているのは肌によくない。

また、ドライアイや、貧血状態の事も多いので、強い日差しは短時間制限。

それでも海は好き。

体を治して、いつかビーチリゾートの旅を再び満喫したいです。

それでまで絶対に生きていたい!!

ビーチリゾートの思い出記事が出てきたので、写真と共に転載します。

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懐かしのバリ島===

写真整理をしていたら、20代中盤に初フライトし、すっかりお気に入りになった

「バリ島旅行」が出てきた。あ~、遊びまくっていました。

マリンジェット

パラセイリング

山も好きだけどビーチリゾートも好きなので、パラセイリング、マリンジェットなど、マリンスポーツも楽しんだ。

もちろんバリ舞踊や伝統工芸品もウオッチしてきた。

 当時日本女性は「イエローキャブ」などと言われ「軽い」イメージで見られていた。

一見大人しそうな日本女性も、現地BOYSと即席カップルになっちゃったり、色々ね・・。

でも私とほぼ一緒に行動していた友人Mちゃんは、声も大きくガタイもいいので現地男性から怖がられていて、

ガイドとして接するのみ。

===あの時遊んだディスコはその後バリ島テロ事件の舞台になったところだった。

Mちゃんと私は長期に滞在していたので現地友人も少なからず、そのうち数人が犠牲になり、

思い出すと今でも辛い部分もあるけど、旅友達と絆もできた旅でした~^^~!

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そうだった。この時よく通っていたディスコは「バリ島テロ爆破事件」の舞台になってしまった。

にこやかで、片言日本語で声をかけてきたスタッフたちはもういない。

ディスコ横の美味しい華僑料理を作ってくれるおばさんも、もういない。

あんなに、平和で楽しい島だったのに。

今は何事もなかったかのように、人気が復活したバリ島。

乳がん転移で亡くなった親友・江美さんもビーチリゾートが大好きだった。

親友・江美さん。スリランカのリゾートにて。

二人で、「いつか体が良くなったら、絶対にビーチリゾートに行こうね!」

と約束していた。

約束が果たせないまま江美さんは先立ってしまった。

それも、彼女は「積極的治療を望んだ」のに、医師がだらだらして動かなかったからだ。

悔いが大いに残る彼女の永眠。

もっと早い段階で、江美さんを私の地元の病院に連れてくるべきだった。

この先、私の悪性リンパ腫も不透明。

維持療法で抗がん剤治療をやっているけど、再発しやすいタイプだから

(現に再発、再再発の憂き目にあっている)。

でも、絶対に治してやる!

生きていれば、いつか江美さん(遺影&魂)と一緒にビーチリゾートに行く事ができる。

体を治してやる!

約束は果たしたい。

生きていればこそできる挑戦もあるのだ!

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お読み下さりありがとうございます。

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出版して一カ月たたないうちに、高評価とレビューを頂きました!

目次です。章をクリックすると、直接そのページに飛ぶことができます。興味のある章からどうぞ~。

「父がくれた悪性リンパ腫」  著 がんサバイバーめぐみ

悪性リンパ腫患者だったら、「必見」です。また、ガンを克服したいという

強いお気持ちのある方にも参考になると思います。

中身は同じ悪性リンパ腫で闘病した父と娘の闘病記録だけでなく、家庭問題、親子問題も織り交ぜています。

また病院の中の様子、闘病仲間の様子なども描き、病気や抗がん剤はじめ各治療の知識と実態も含ませました。

主治医は違うが同じ病院の中、医師がどのように動いたか、病院による差はあったのか。

元気だった父が死に至り、末期でスタートした私が、どのように悪性リンパ腫を克服していったのか。

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走ろう、永眠で。

こんな日が来てしまいました。

1月13日 17時30分
大好きなパパが永眠しました。
治療まだする?
首を横に振るパパ、
もう終わりにしたい??
首を縦に振る。
ありがとう、って、義母に促され、
私に言ってくれた。
子供たちの名前も、
促したら
ひとりずつ言ってくれて。
それが力を振り絞った最期。
 最期までとてもかっこいいパパでした。
愛してるよ。
私、幸せやったよ。
乗り越えられるかな、
すごく苦しい。
胸がすごく苦しい。
側にずっといたかった。
ありがとう、パパ。
子供たちもお休みで、
親族皆で、パパを送りました。

皆さま、たくさんの方に見ていただき、
ありがとうございました。
心より感謝します。
取り急ぎ失礼します。


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なかのくん永眠してん!?
実質永眠→ @raru_25th
RT @u1ezk: 杏、紗南、仁奈、私でスマブラやってチーム戦ボコボコにされるんだけど仁奈が悲しんでるよな~っ悲しいな~ってようじょの盾使って卑怯にも二人を倒す土曜日、実現したらそのまま永眠してもいい
@colcol71512 永眠させてくれ〜~〜~〜~〜~💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢

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