路線大好き!コレクション
オイラの辛気臭いネタをご覧いただき、ありがとうございます。
さて、既存メディアでは報道されることがない「 沖縄 」ネタは結構あります。
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沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で、埋め立て土砂の搬出に使う重機の鍵穴が接着剤で塞がれるなどのトラブルが発生していることが18日、防衛省への取材で分かった。
同省などによると、同日午前、埋め立て土砂の搬出に使用する名護市の民間桟橋付近で、重機の鍵穴に接着剤が流し込まれ、給油タンクに穴が開けられているのが見つかった。
また、採石場でも複数の重機の鍵穴が接着剤で塞がれていたという。県警は器物損壊の疑いを視野に捜査している。
埋め立てが始まった14日には、名護市の米軍キャンプ・シュワブ内でも同様の被害が確認されており、県警が調べている。
岩屋防衛相は18日、防衛省で記者団に「捜査機関において、厳正に対処されるものと考えている。工事に大きな支障が出ているという状況にはない」と述べた。
>埋め立て土砂の搬出に使う重機の鍵穴が接着剤で塞がれる
>埋め立て土砂の搬出に使う重機の鍵穴が接着剤で塞がれる
>埋め立て土砂の搬出に使う重機の鍵穴が接着剤で塞がれる
>埋め立て土砂の搬出に使う重機の鍵穴が接着剤で塞がれる
かなり無法地帯と化しているのですが、なぜか捕まりませんw
沖縄の沖縄タイムズと琉球新報は「 中国の機関紙」状態だし、警察も及び腰です。
沖縄警察も、地元採用の方々は「 面が割れている 」そうで、普通に仕事をすると家族に害が及ぶとか。
県外から来た機動隊の方々には
散々煽った挙句、「 切り取り 」をして、沖縄の新聞・テレビが揚げ足を取るのですw
まぁ、これも取り締まる根拠法が貧弱なので「 やりたい放題 」なんですなw
例えば、この前の「 渋谷でのハロウィン 」での迷惑行為、特に軽トラを横転させて壊した犯人を逮捕しました。
あれだけの大人数でも追跡して逮捕しましたが、沖縄の場合、「 そこ 」に長くいるのにも関わらず、何もしません。
沖縄の既存メディアは、完全に浸透されてますが、中央の既存メディアも知っていて報道しないどころか、「 過激派 」の側からカメラを回しております。
こっちだと、「 反原発の左巻きデモ 」は、見たことがありません。
ある意味、福島第一原発から一番近い拠点ではありますが、「 火をつけても消えてしまう 」状態です。
駅前では、よく共産党の年寄りが騒いでます。しかし、誰も気にしておりませんw
「 YAHOOのコメント 」で、
> このような違法行為は基地反対派のイメージを悪くするだけだとなぜ分からないのか。
無法地帯みたいですよw
> 仮に反対派が正しいとしても、こういう事をするから地に落ちる。以前反対派の道路封鎖で、朝夕大渋滞が起きて路線バスなど通勤通学に多大な影響を及ぼしているなんてのも見かけた。
言ってる事はもっともらしいけど、実際に迷惑かけているのはどちらなんだ?と、県外からすると困惑してしまう。
確かに過激派は本州から流れてきているようですが、それを受け入れちゃう状況って、他にいろいろ理由があるのかもしれません。
> 日本中の極左が大集合して、嬉々として破壊活動を行なっているのかな?
本州から追い落とされているってことでしょう。
> これはトラブルではなく意図的な妨害行動と報道するべき事。
先年の那覇保安部桟橋への勝手な施錠や、高江での私設検問と同じく、正義の為なら何をやってもよいという暴走の結果の一つであり、「割れ窓理論」ではないが、もう一歩進めば反原発を謳って山手線へ放火を繰り返した自称活動家と同じ行動に至る行為である。
現段階では、国家権力にやってやったと稚気じみた満足感で済んでいるが、これから先、自分の思い通りの結果に至らなくなった段階で「世界が悪い」「我々に協賛しない世論は武力をもって糺すべき」とし、無差別テロを繰り返しつづけた50年前の新左翼の歴史を思い起こすべきであろう。
彼らは、知ってか知らずか「 中国共産党の使い捨ての手駒 」なのです。
> 明らかに犯罪なのに「トラブル」って報道するのはどうなの。日本の報道って、目的が(自分たちにとって)正しければ手段は問わないって思想を肯定するのかね。
あくまで正当な手段で抗議する、広く国民の支持を得たいのであればその姿勢は貫かないと。
これ、テロです。
> これ、トラブルじゃなくて、テロ行為だよな。犯罪じゃないか。業者さんに何の罪があるというの。。。これで更に普天間の危険除去が遠のき、余分な税金がかさむ。中国や北の工作員の可能性すらあるテロリストどもをきっちり検挙して償わせて欲しいものだが、叶わないならデニーが責任持つべきと思う。
「 反対 」してないとマグロのように窒息してしまうのでしょうw
> 二ダーがよく使う手だが(´・ω・`)
アルもねw
> 良い考えが浮かびました。
沖縄の民意を尊重して、米軍沖縄撤退するにはどうするか?
しかし、地理的問題もあるので、九州、本州と言うわけには、いかない。
では、中国方式でいきましょう。
埋め立て基地です。 予算は、今まで、沖縄に迷惑量的に付けてた予算を全て、新基地建設に回す事でいけるでしょう。統治は、政府直轄。
また、基地内日本人雇用は、沖縄以外から募集。基本住み込みで。 または、九州より航空便でかよい。
休暇の兵隊さんの保養所は、沖縄以外から募集。希望する自治体数か所の設置。
これ
で、沖縄は、米軍から切れるし、国防も現状維持できる。 ただし、これにあたって、日米地位協定を、平等にすること。
どうでしょうか?
彼らにとって重要なことは、「 在日米軍と自衛隊の即応能力を落とすために、1日でも長く後方撹乱工作をすること 」なので、もしそうなったら「 新基地 」の造成を妨害するだけですw
路線 いっしょなら、きっと、うまくいくさ。
■専科を維持するために何が必要か
では、専科さんの人員減少について触れ、
では専科さんの過酷な稼働状態について触れました。
今回は専科を維持するために、今、何が必要なのかについて考えてみました。
専科は昨日や今日のキャリアで入れる場所ではありません。
何よりも生徒さんが劇団に長く残りやすい環境の整備こそ専科さんの育成に必要不可欠な要素だと思っています。
全ての生徒さんは研5終了時の試験(※)または新人公演の主役を取れるかでその後のジェンヌ人生が決まってしまいます。
※
新人公演の主役が取れた方は、路線またはスター格としての扱いが受けられますが、そうでない生徒さんはその後のモチベーションをどうやって維持しているのでしょうか。
劇団が路線になれなかった生徒さんのフォローを本気で考えているようには見受けられません。
後はご自由に・・・というのはあまりにも非情ではないかと思います。
私が劇団に提案したいのは以下のような内容です。
1)各組の生徒さんへのフォロー
・専科育成プログラムの実施
・管理職養成プログラムの実施
(新人公演の主役経験のない研10以上の生徒さんで希望する者を対象)
2)退団された方向けに
・復職制度(ただし、一定条件あり)
3)専科さんへの待遇改善
・結婚の許可
・半年単位での長期休暇の取得(産休や海外での視察など)
1)について
新人公演で主役経験がない研10以上の生徒さんを対象とし、希望者には上記のような制度を設けてはいかがでしょうか。
路線になれなくても別のキャリアパスを示せばモチベーションアップにもつながるのではないかと思います。
2)について
専科に限っては退団者の「復職(再就職)」を認めても良いのではないかと思います。
(ただし、劇団で一定年数以上を経験した卒業者の方が対象)
劇団を一度出て、外部での人生経験を積んだことが却って専科としての味になるのではないかと思います。
この場合、既婚者でも入団可能とします。
3)について
専科さんに限っては結婚の許可をするというのは難しいかもしれません。
しかし、女性に恋や夢を売る側のジェンヌさんが、一個人の女性としての幸せを一生放棄し続けなければならないというのは
あまりにも厳しすぎるのではないかと思います。
ただ、出産についてはコントロールしにくいでしょうし、育休もどこまでとったらよいかは体が資本のジェンヌさんにとっては難しいかもしれません。
よって、結婚するには退団が大前提であれば2の復職制度を設ける方がまだ現実的な気がします。
昔からいう「花嫁修行」としての宝塚であったならば、未婚で通し、適齢期になったころにお辞めになるシステムで良かったかもしれません。
しかし、宙組創設以降の5組体制になってからは年中公演が行われており、専科の要請機会も増えることが見込まれます。
時代が変わって組も増え、公演回数も増えているにもかかわらず、旧態依然のシステムで体制を維持するのは無理があるのではないでしょうか。
また、時には長い休養を取っていただいて、海外での演劇鑑賞や外部の舞台に出演するなど
ご自身の充電に充てられるお休みを取っていただくというのはいかがでしょう?(長年劇団に在籍してくれた慰労も兼ねて)
その充電期間が再び舞台にフィードバックできればファンにとっても嬉しい限りです。
最後に・・・
私は若い頃は専科さんのありがたみや価値に気づきませんでした。
しかし、齢を重ねて改めて舞台を見ると専科さんの年輪が醸し出す温かみや深さにお芝居の奥行きを感じるようになりました。
専科さんの存在は舞台の厚みと芝居を締めるのに必要不可欠な存在かと思います。
だからこそ、今まさに専科さんのテコ入れを劇団には本気でお願いしたいのです。
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福島の除染土の再生利用 福島県以外の8割超「内容知らず」
2018年12月、福島県浪江町の山間部、国道114号の沿線約27キロを取材に訪ねた。
ここは、福島第一原発事故からあと3ヶ月で丸8年が経つというのに、高線量の汚染のため今なお立ち入りが禁止されている。住民の帰還はもちろん、除染すらまだ手付かずのままだ。
つまり、2011年3月、福島第一原発から出た高濃度の放射性物質のプルーム(チリの雲)が押し寄せ、地表に落ちたまま、すべてが止まっているのだ。
この国道は、太平洋に注ぐ「請戸川」に沿っている。阿武隈山地の水源から、太平洋岸の平野まで、川沿いをたどる形になる。その谷筋に沿って、2011年3月15日に高濃度の放射性物質を帯びたプルームが、海からの風に乗って流れた。山をひとつ超えてた北側には、やはり汚染で全村避難になった飯舘村がある。
(2017年9月16日付毎日新聞より)
2011年3月15日、福島第一原発から流れ出したもっとも大規模かつ高濃度プルームは、太平洋からの風に乗って、北西方向に流れたことをご記憶だろうか。そのプルームの真下にあたるのが、今回訪れたエリアである。上の地図と下のマップを照らし合わせててみるとわかりやすい(下の図は文部化科学省とアメリカエネルギー省の空間線量モニタリング調査結果。2011年4月29日現在の地表1メートル値)。
8年近く人気が絶えたままの集落は、雑草が人の背丈ほどにも伸び、灌木が森のようになって、民家や商店、自動車をのみ込みつつあった。田畑だった場所は雑木が茂り、森のように見えた。
そこには誰もいない。音もしない。静かすぎる。道路の上で枯れ葉が風に舞う音が、耳に届く。
まるでSF映画の「人類滅亡後の世界」に迷い込んだようだった。そうした光景の真っ只中に立っていると、誇張ではなく、本当にめまいがして動けなくなることがあった。そこがかつては、誰かのなつかしい「わが家」であったことを考えると、胸が張り裂けそうな思いに襲われるのだ。
そんな光景が、封鎖区域を走る約1時間、道路の両側に延々と続いているのだ。
今回、3日間の取材で約3500枚の写真を撮った。その中から110点以上をここでお見せしようと思う。新聞やテレビでは、ここまで詳細な報告はなされていない。
なぜ、そんな高線量地帯に取材に入れるのかというと、国道114号の通行に限って、一般車両の立ち入りが許可されているからである。2017年9月までは、汚染のひどさのため、通行すら禁止されていた。つまり完全な封鎖地帯だった。
しかし、この路線は県庁所在地である福島市など「中通り地方」と、太平洋岸をつなぐ主要道路だ。福島第一原発の復旧工事や、除染作業の工事車両を往来させるために道路を通せという要望が強くなった。新聞ほか記者クラブ系マスメディアは「復興を加速させる」という大義名分を報じている。
放射能で汚染されたエリアを封鎖する大きな理由はもちろん「立ち入った人が被曝しない」ことである。もうひとつは「放射能を帯びたチリが付着した車両や人が外に出て、汚染を外部にばらまかないようにする」ことも重要である。その意味では、居住が許されないようなエリアを車が往来している現実は、本来は放射性物質の管理として矛盾している。
矛盾には違いないのだが、おかげで、一般車両でも許可証なしに通行できる(オートバイや自転車、歩行者は通行禁止)。私のようなフリーランスの記者でも、8年間汚染されたまま手付かずの封鎖地帯の内部に入ることができる。原発事故で封鎖された街がどうなっているのか、目撃し記録することができる。
片側一車線の国道は通れるが、両側に入る道や人家、商店にはバリケードやフェンスが築かれ、入ることができない。集落ごとバリケードで封鎖されている場所も多い。
この光景は、太平洋岸の平野部、福島第一原発直近(約1.5キロ西)を南北に走る国道6号でも、同じである。人気が絶え、荒廃した街を縫って、道路上だけはトラックやワゴン車が行き交っている。高濃度の汚染地帯なのに、工事車両を通すために国道だけは開通している。
放射能に「面」を制圧さ
れたまま、国道という「線」だけを失地回復した。私の目にはそう写る。
私は、福島第一原発事故の直後の2011年3〜4月から被災地に入り、取材を始めた。その後も現地に東京から通い、除染が始まる前、除染作業中、除染が終わって避難指示(住民の強制退去)が解除されて、住民が戻り始めて、とその一部始終を見てきた。
その概観を言えば、今もなお封鎖が続くエリアの内側はもちろん、その外側、除染が終わった区域でも、現実は過酷である。
除染しても事故前の放射線レベルには戻らない。それどころか、広大な山林が除染されないまま残っているので、じりじりと線量がまた上がっている。年間1ミリシーベルト(時間あたり0.23マイクロシーベルト)の許容線量が守れるか守れないかすら、ギリギリの攻防が続いている。
成長期の子供への影響を懸念する親たちは、強制退去が解除されても、避難したまま戻ってこない。戻ってくる住民は「祖父母世代」つまり高齢者が大半である。人口は事故前の1〜2割にしか回復していない。一度移転した企業は戻ってこない。戻りたくても、就職する企業がない。
かくして「祖父母=農業+親=会社勤め+孫」の三世代同居で成立していた家計構造が崩れた。農業者が多い高齢者だけが帰還しても、生活そのものが成り立たなくなった。そればかりか、高齢者ばかりになった集落は、あと10年、20年も経って彼らが死亡すると、コミュニティが自然消滅してしまう。そんな暗いシナリオが進行している。
残念ながら、除染が済み強制退去が解除されても「福島第一原発事故後の被災地の現実」は過酷である。「事故前の状態の回復」など、ほど遠い。現実が好転するきざしや方策は何も見えない。
ずっと現地で取材をしている私の偽らざる実感である。
こうした現実の一方、政府は奇妙な政策を次々に発表している。その動きは、東京オリンピックが開かれる年=2020年の3月、つまり今から1年数ヶ月後に集中している。3月は言うまでもなく、原発事故から9年目の月である。
*福島第一原発事故の避難者のための仮設住宅を全部廃止する。避難民を退去させる。
*JR常磐線(上野〜仙台)で最後まで不通のままになっている富岡〜浪江駅間(同原発の約2キロ西を通る高線量地帯)を復旧させ、全線開通させる。
そうやってお膳立てが整った2020年3月に、東京オリンピックの聖火ランナーが福島県を出発する。
東京五輪組織委は、一度は1964年東京大会と同じ沖縄から聖火リレーを出発させる方針を固めていた。「がその後、組織委内で『復興五輪のメッセージを強く押し出すべきだ』との意見が強まり、原発事故のあった福島出発に決まった」のだという
これまでも、JR常磐線や高速道路、幹線道路の復旧を「原発事故からの復興」として政府や福島県、記者クラブ系マスメディアは喧伝してきた。
政府は2020年3月、つまり原発事故9年目に、仮設住宅から避難者を追い出し、JR常磐線を復旧させるという日程を設定した。過去の経緯から考えて「復興は達成された」という宣伝に使われるだ
う。
時同じくして、その福島から聖火ランナーが出発する。当然、世界のマスコミがそこに集まるだろう。政府は、東京オリンピックを「原発事故を克服した」「原発災害から復旧した」という宣伝(プロパガンダ)に使おうとしている。私はそう見ている。
基本的なことを確認しておくと、2011年3月11日夜、つまり福島第一原発の3つの原子炉がメルトダウンに向かっていたときに政府が発令した「原子力緊急事態宣言」は、まだ解除されていない。つまり「福島第一原発の危険な状態はまったく変化していない」と、同じ政府が言っている。しかし、こちらの方が積極的に広報・報道されることは、まずない。
福島第一原発の危険な状態はそのまま。被災地は事故前に戻ることはない。しかし「復興」を喧伝する行事だけは盛りだくさんに用意されている。そんな奇妙にねじれた現実が進んでいる。
イベントやセレモニーを催し、政府がいかに熱心に復興を宣伝しようと、メルトダウンしたままの3つの原子炉の内部は1ミリも変わらない。ばらまかれた放射性物質は1マイクロSVも減らない。残念ながら、セレモニーや宣伝で現実は何も変わらないのだ。
そんな「宣伝や行事では何も変わらない現実」のひとつとして、ここに公開する封鎖地帯の写真を見てほしい。そして、一瞬でいいから、ここに写っている風景が自分の故郷やわが家だったら、と想像してみてほしい。
(写真は特記のない限り2018年12月1〜3日、福島県浪江町で筆者撮影)
@cmk2wlさんのツイート: https://twitter.com/cmk2wl/status/1073701253547315200?s=09
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