添い寝はじめてガイド
私の仕事の拘束時間は長く、子の塾帰りは遅いので、夕飯はもう世間でいう夜食の時間に近い22時過ぎです。
つまるところ。
ギリギリでも私が早く帰宅できれば、何なりと作れますが、外食率けっこう高いです。
会社から駅に直行して、子を乗せてそのまま外食。
前の家は駅から近いのですが、なるべく前を通らないようにしていました。
けれど、ある日ネットの広告で売り出されているのを見てしまい、その後が気になり前を通るようになりました。
広告に出てきた理由は、夫が亡くなってすぐ私がインターネット見積もりをしたので、検索ワードとか入力履歴から出てきたようです。
夫が調停の前にしていた見積もりと、私がかけた見積もりの結果はほぼ同額でした。
しかし。
やはり事故物件情報は近隣不動産屋にすぐさま広まった様子でした。
広告の販売価格は、見積りの額を大きく下回っていました。
団信が適用になりローンが無くなって、唯一プラスに転じた相続でしたが、それもふいに。
相続放棄した私たちには関係の無いことですが、住んでいた場所が売りに出され、間取りや写真を広告で見るのは、なんとも言えない気持ちになりました。
子に
「家が売り出されてるけど」
と話すと、意外な言葉が返ってきました。
「えー、無理。怖。絶対住みたくない」
え、そうなの?
誕生日にケーキ買ってきたり、偲んでいるのかと思っていたけど。
「いや、無理。おばけ怖いし」
そういうことかー。
子は怪談や心霊話が苦手で、テレビで特集が始まったりすると、すぐにチャンネルを変えます。
現実の残酷な殺人事件のニュースなどにも同様の反応をします。
やたら大人発言をする子のなかなか見られない子供っぽい反応です。
しかし。
父ちゃんはもうおばけのカテゴリなのか。
「でも、父ちゃんが出てきても怖いの?」
「いや、何にも知らずにそこに住んでたら怖いから」
「知ってたらいいの?」
「無理!」
つまるところ。
父親の死に対しては、健気なほど気丈に振る舞っていた子でしたが、経過していた遺体はやはり恐怖に値したということでしょう。
お葬式といえば、物心ついていない時に義祖母が亡くなった時ぐらいで、それも覚えていないそうです。
私が覚えているのは、湯灌前の義祖母を見て
「ばあば寝てるの?一緒に寝る!」
と言って、添い寝していた無邪気な姿です。
身内の涙を誘っていました。
気持ち悪いというよりは
畏怖の念かもしれません。
団信が適用になった時に、すでに別居中であったため、もとの家に戻る相談をしたら
「今は売ればお金になるけど、自分が引き継ぐ50年後なんて価値が無いからいらない」
と言われ、相続放棄を決心するきっかけになりました。
冷静だなあと思っていたのですが。
いらないと言ったのは、固定資産の価値の話だけではなかったということか。
いずれにせよ、ひとりっ子が進学や就職で地元を離れた後、相続で固定資産が残り、税金等々で大変だというのもよく聞くので、判断は間違えていなかったと思います。
私も、きっかけがあれば土地を離れ気ままに暮らしたいと考えています。
そんな私たちとは裏腹に、マンションを熱望した義家族。
思い通りに手に入ったと同時に借金を背負い苦労している様子。
広告を見て前を通るようになって、初めて明かりがついているのを見た時は、売れたんだなあ、どんな人が住んでるんだろうなあと思ったのですが、その後は真っ暗で、次に明かりを見たのは1ヶ月ほど後でした。
毎日通るわけでもないのですが、人の気配はあまりせず。
義家族がたまに来ているとか、内覧で終わっているのかもしれません。
子は思い入れがないのか怖いのか、あるいは辛いのか、通りすぎる時に目を逸らします。
再び住んで、近所に頭下げて管理費と修繕積立金払いながら住むよりも、身軽になって正解だった。
(義家族、大変。自業自得だけど)
前を向くために、土地を離れたいな。
今はそう思います。
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