「どうも毎日だるい」そんなあなたのための繁盛店
こんばんは!しおさんでございます(*^-^*)
毎日更新!
1805日目の記事をお届けします(*^-^*)
今回は
☆感動したサービス対応vol,246
ウェルカムボードから感動した!浩太郎丸で頂いた
麺ターテインメントへの想いと美味しいが溢れる時間
をテーマに描いていきます(*^-^*)
昨日の記事はこちらです(*^-^*)
↓↓↓
☆感動したサービス対応vol,245
ブラジルのシェラスコ料理の美味しさに感動!
バルバッコア青山店で頂く食べ放題の肉と焼きパインの幸せ
(東京:表参道駅)
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JR中央線の阿佐ヶ谷駅(*^-^*)
10年ほど前に住んでいた街に再び降りました(*^-^*)
そして
阿佐ヶ谷の街のシンボルの一つである
パールロード商店街へ
アーケードのある街は
住んでみたい憧れの街です(*^-^*)
小さい頃東大阪市の花園に住んでいた時
近鉄線の河内花園駅前にあったアーケード商店街を
良く買い物したのを覚えており
その時の楽しさや温かさが
今でも記憶の中に残っているんですね(*^-^*)
そのパールロード商店街を歩きながら
天井の素敵な造りに
改めて感銘を受けながら
目的のお店を目指しました(*^-^*)
そして
到着した
浩太郎丸さん(*^-^*)
↓↓↓
浩太郎丸さんは
お店の前に行くと
こんな感じです(*^-^*)
大きな提灯には
常笑軍団と描かれており
笑いが集まるお店のイメージが
浮かんできますね(*^-^*)
階段を上ると
スタッフさん達の写真が迎えてくれます(*^-^*)
浩太郎の長旅はまだ終わらない
が素敵な言葉ですね(*^-^*)
さらに階段を上ると
記念写真用のボードがありました(*^-^*)
ウルトラマンコウタローは最高ですね(*^-^*)
そんなワクワクする中
初体験のお出迎えがありました(*^-^*)
そう!
手作りのウェルカムボードが迎えてくれたのです(*^-^*)
この日は第46回繁盛店で飲み語ろう会で
浩太郎丸さんを利用させて頂きました(*^-^*)
イベントページであらかじめ参加者が
分かっていたとは言え
こんな形でウェルカムボードが
作られて、迎えてもらえるとは
思っていませんでした(*^-^*)
全体ボードは見たことはありますが
参加者一人一人にメッセージを添えて
迎えてくれるウェルカムボードは
初めてでした(*^-^*)
これを見た瞬間
感動で大興奮していました(*^-^*)
その感動にワクワク感がさらに高まりながら
店内へ(*^-^*)
と入る前に
お客様と撮った写真が飾ってあり
お客様との関係をとても大切にしている
お店であることを感じました(*^-^*)
店内に入ると
酒樽がありました(*^-^*)
日本酒が飲みたくなりますね(*^-^*)
席はコチラでした(*^-^*)
すると席にも
メッセージが置かれていました(*^-^*)
額縁に入って
丁寧に置かれていたメッセージは
先ほどのメッセージボードの感動もあり
さらに感動が高まりました(*^-^*)
ここまで丁寧に、温かく迎えてもらえるとは!
それだけで浩太郎丸さんにして
良かった(*^-^*)
と感動に浸っていました(*^-^*)
この日は飲み放題付の5000円コースで
予約をさせて頂いていました(*^-^*)
飲み放題も充実しています(*^-^*)
スタッフのおがちゃんの笑顔あふれる対応で
みんなもテンションが高まります(*^-^*)
そして乾杯(*^-^*)
乾杯の後
最初の料理が運ばれてきました(*^-^*)
お通しです
最初から野菜が美味しく
仕上げられており
美味しい!
という声が自然と上がっていました(*^-^*)
続いて
サラダが登場
海老がたっぷり入ったサラダ(*^-^*)
ぷりっぷりの大きな海老が
野菜の食感と合わさり
美味しさがたまりませんでした(*^-^*)
続いて
お刺身盛合わせ
新鮮なお魚たちは
見ているだけで美味しさが伝わってきますね(*^-^*)
早速頂くと
脂ののった美味しさがたまりません(*^-^*)
お酒が進みますね!
そこに登場したのは
浩太郎丸さん名物の一つ
鉄皿たまご焼きでした(*^-^*)
店長さんおススメのたまご焼きは
皆さんが食べたいと思っていました(*^-^*)
そこに登場した鉄板卵焼き(*^-^*)
一口頂くと
絶妙な味付けとふわふわ感が
たまりませんでした(*^-^*)
ひとつ丸ごと食べたい!
< p>
そして
ご飯を食べたい!
そう思う美味しさに感動し
さらに会話が盛り上がりました(*^-^*)
続いては
カニクリームコロッケと鶏のから揚げの
揚げ物盛合わせ(*^-^*)
かにの風味がしっかりと感じる美味しさに
美味しい!
と思わず声が出ていました(*^-^*)
その美味しさに感動しながら
唐揚げも頂きます(*^-^*)
美味しい味付けが
もっと食べたい気持ちを誘います(*^-^*)
タルタルソースをつけて頂くと
さらにおいしさが高まりました(*^-^*)
会話はどんどん盛り上がります(*^-^*)
そこで語って頂いた
井上さんと浩太郎丸さんのつながりから
麺ターテインメントとの出会いについて(*^-^*)
井上さんは
元々は29歳で吉本に入ったそうです(*^-^*)
えどはるみさんの年齢は関係ないの言葉に
感銘を受けて、やることを決め、
お笑いの道に進むことが
井上さんの目指していたことでした(*^-^*)
そこで
レギュラーも頂いて
行っていたそうです。
そんな中相方の人が結婚することに(*^-^*)
福岡での結婚式
友人代表としてスピーチすることに。
だけど結婚式のエピソードが
なかったそうです。
そこで
ヒッチハイクをしてみたのだそうです(*^-^*)
ドラマを作って、辛いことが沢山あったけど
みんなで乗り越えていこう!
そんな想いを届けたくて始めたヒッチハイク(*^-^*)
東京から福岡へ
途中感動するエピソードが(*^-^*)
なんと広島から披露宴まで5時間という時に
乗せてくれた人が
なんと!その友人のおじさんだったのです(*^-^*)
そのことを披露宴で伝えると
会場は感動に包まれたそうです(*^-^*)
そこで見つけた
目標達成するためには
苦労してもその先に感動があること
その先に吉本を辞めて
浩太郎丸さんとの出会いがありました。
披露宴から1年後
オーナーさんより
浩太郎丸を運営してほしい!
と頼まれたそうです。
当時は
100席で売上が180万円/月
家賃は100万円/月だったそうです。。。。
運営を引き受けてからは
どんどん成長を続けていき
月1000万円の売上を達成したのです。
しかし
そこで悩みが生じました。
自分が抜けると売上が落ちたのです。
そして
お店に入ると売上が上がったのです(*^-^*)
自分が抜けたらだめ・・・
でもこれを乗り越えないと・・
と思っている時
カンブリア宮殿で出会ったのが
ヤマト製麺のお話でした(*^-^*)
そのお話に惹かれて
ヤマト製麺さんの学校に入ったのです。
ヤマト製麺さんで成功する人は
学んだ人のうち3%しかいないことを知り
ラーメンの作り方はは教えてくれるけど
売り方までは教えてくれない。
だから
まずは小さいお店を作って
そこで働いて感動体験を届けたい!
手間暇を面倒くさいといわれる
世代の人に体験してもらいながら
感動体験、成功体験を重ねてもらう為に
小さなラーメン店を造り、人が学び育つ場を作りたい!
そこに見つけた言葉が
麺ターテインメントだったのです(*^-^*)
井上さんの歩みと想いに感動と学びを沢山頂いた後
焼きさばが登場(*^-^*)
井上さん自らが焼いてくれました(*^-^*)
そして頂いた鯖は
脂がたっぷりのっていて
美味しさにほっぺが落ちそうになりました(*^-^*)
そこで
サプライズタイム(*^-^*)
誕生日を迎えたあかりプレイスの伊藤さんに
誕生日プレゼントのサプライズを用意していました(*^-^*)
伊藤さんの笑顔が最高ですね(*^-^*)
そして
ケーキもありました(*^-^*)
みんなでお祝いをして
記念撮影(*^-^*)
井上さんのお花sぢの感動の後に
こんな感動もあり
会はどんどん盛り上がっていきました(*^-^*)
そこに
アスパラのホイル焼き
アスパラのうまみとベーコンのうまみの融合が
たまりませんでした(*^-^*)
そこに
ツボ漬けのお肉が登場
早速焼いてきます。
これがまた美味しくて
お酒が進みました(*^-^*)
泥亀のソーダ割りです!
さらにお肉を(*^-^*)
さらに
ゴーヤチャンプルも頂きました(*^-^*)
これがまた味付けも抜群で
美味しかったです(*^-^*)
そんな盛り上がりの中
井上さんから初めてを頂きました!
ヤマト製麺さんで学んだ技術を生かして作った
初めてのラーメンとスープでした(*^-^*)
それを頂いたのです。
井上さん自ら作ってくれました(*^-^*)
麺とスープがいい感じですね(*^-^*)
そして頂いたラーメン(*^-^*)
その美味しさに感動しました(*^-^*)
モチモチした美味しい麺に
ピリ辛でコクのあるスープは
麺との相性も抜群でした(*^-^*)
これはいい!
そう感じながらもくもくと食べちゃいました^^;
そして
最後は会津地鶏のたまごかけご飯
会津地鶏との出会いもヒッチハイク中だったそうです(*^-^*)
井上さんのヒッチハイクのお話は
スゴイなあ!
と感じながら
楽しませて頂きました(*^-^*)
美味しさは抜群です(*^-^*)
たまごのうまみが凄いです!
そんな麺ターテインメントに向けた想いを頂いた
浩太郎丸さんでのひと時(*^-^*)
最後のお見送りまで感動に包まれて
浩太郎丸さんを後にしました(*^-^*)
まとめに続く・・・・
しおさんの新しい電子書籍が出版
されました(*^-^*)
売上がついに0円に・・・!!
ダメダメだった僕が1000日間一つのブログを
毎日更新することができるようになるまでの軌跡を描きました!
無料で読めますのでぜひのぞいてみてくださいね(*^-^*)
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愚直に続ければ光が見える
~ブログ1000日の全記録~
そば・うどん店繁盛BOOKで掲載されました(^^)/
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売れる店・辞めない店の第一歩は「外の世界を知る」習慣づくり
飲食業を日本で一番働きたい職業に!
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繁盛店ファン待望!
●これは自分のお金じゃない
よくテレビなどで、こんな質問が聞かれる時がある。
「もし今、1億円が当たったら、どうする?」
貴方だったら、何と答えるだろう。
家や土地を買う?
車かバックを買う?
それとも貯金か、親に楽させてあげる?
1億円は大金です。
何に使うかを考えるだけでも、楽しい。
しかし、世の中には誰も予想しない様な事を、答える人がいる。
私が知っているある男は、
「もし今、1億円が当たったら、どうする?」
と聞かれたら、きっとこう答えるだろう。
「当たったお金は、私のお金じゃない。」、と。
そんな変人とも思える男は、
1948年、10月。石川県に産まれた。
普通、子供が生れると家族全員で喜ぶものだが、
彼の場合、誰も彼の誕生を喜ぶ者は居なかった。
なぜなら、
生れた時、すでに両親はいなかった。
自分は捨てられたのか、邪魔で預けられたのか?
それとも死んだのか。それさえも分からなかった。
気がついた時には、孤児院に居た。
3歳になった時、養父母にもらわれていった。
しかし、養父はギャンブル好きで、毎日競輪・競馬三昧。
ギャンブル通いで働かない父と、パートで頑張って家計を支えていた母。
そんな中で、トクジは育った。
電気代も水道代も払えない貧乏家族だった。
やがて父は、払うべき家賃も母から取り上げてギャンブルにつぎ込んだ。
当然、そんな状況で勝つ訳も無く、
一家は全財産を失う。
払う家賃も無くなり、夜中に養父母とトクジの3人で夜逃げする。
逃げた先は岡山県の玉野市だった。
しかし、逃げた先でも父親のギャンブルは止まらなかった。
母は、そんな父に愛想を尽かし、父とボクを残して出て行った。
生活費の当てが無くなった父は、しょうがなく日雇いの仕事を始めました。
でも父は仕事から帰って来ると、よくボクに暴力を振るいました。
ちょっとでも機嫌が悪いと、ボクを叩きました。
それでも私には父だけしか居なかったから、
必死に父に気に入ってもらえる様に、「お父ちゃん、お父ちゃん」って、
見捨てられない様に、気に入って貰える様に、ボク、頑張ったよ。
電気代が払えなかったので、夜はロウソクの明かりで過ごしたよ。
貧乏のどん底に居たので、お米なんて滅多に食べられなかった。
いつもメリケン粉を水で溶いた物を食べていたんだ。
父ちゃんが家に帰って来ない日が続いた時は、お腹が空いて死にそうになり、
外に行って、雑草を食べて飢えをしのいだんだよ。
それでも父ちゃんは、家賃を滞納したんで、ボクたちはアパート転々とした。
そんなある日、ボクが8歳の時、
逃げて行った母が、名古屋で暮していると分かったんだ。
父とボクは、再び母の元に行き3人一緒に暮らし始めました。
でも、父ちゃんはまたギャンブルを始めたんだ。
結局1年も経たないで、再び離婚。
また父ちゃんとボクの生活が始まった。
家賃を滞納して追い出されるの繰り返し。
半年で家を転々とする生活で、ボクに友達が出来る事は無かった。
夕飯の為、近くの川に行ってメダカやフナを獲ってました。
父ちゃんはタバコが好きだったけど、買えなかったので、
よく父ちゃんとパチンコ屋に行ったんだ。
ボクの仕事は、パチンコ屋の床に落ちているタバコの吸い殻を拾い集めるんだ。
吸い殻をパイプに詰めると、タバコになったんで、父ちゃん喜んでよく吸っていたんだ。
そんな生活だったけど、ボクは自分が不幸だとは一度も思わなかった。
父ちゃんは一年に2回、ボクにリンゴを買ってきてくれたよ。
それがとっても、美味しくて、幸せだった。
ボクが15歳の時、そんな父ちゃんが死んだ。
ボクは再び母さんの所に行き、母さんとの6畳一間の暮らしが始まった。
それでも貧乏暮らしは変わらなかったので、
ボクは毎朝学校に行く前に、友達に頼み込んで、友達の家がやっている豆腐屋さんで、
アルバイトして学費と生活費を稼いだ。
この頃には、もう「何事も誰にも頼らずに、一人で生きていかなければ」と思っていました。
高校を卒業すると、
車に乗
て回れる仕事がしたいと思い、新聞の求人広告を見ながら、
高卒でも良い所を探して面接に行くと、そこは不動産会社でした。
どんな仕事をするのかも分からず学生服で面接に行くと、なぜか即採用されて、
ああ、これで生活が出来ると安堵しました。
私は内向的で、営業トークなど出来るタイプでは無かったのですが、
トークが上手く出来ない分、心を込めて対応しました。
すると、当時は高度経済成長の真っただ中だったので、私でも何軒か契約が取れました。
ところが、入社して2年半が経った時でした。
突然本社がある神奈川県の川崎市に転勤になったのです。
そこで半年働いた時、こう思いました。
「名古屋に帰りたい。」
母がいる地元名古屋で仕事を探そうと決意しました。
私は名古屋が大好きなんだなぁと、つくづく思いました。
さっそく名古屋に支社のある住宅建築会社に面接に行くと、内定をもらいました。
あとは名古屋に行ってその会社で働くだけでした。
しかし、ここで私の人生で最大の運命の分かれ道がやってきたのです。
あと2日で入社という時でした。
たまたま新聞の求人欄をみていると、
「大和ハウス工業」の求人広告が目に留まったのです。
当時、私は会社に入社するにあたり自分の戸籍謄本を見る機会があり、
その時初めて、自分の本当の親だと思っていた母ちゃんが違うという事に気がつき、
少し複雑な気持ちの中にいたからなのかもしれませんが、
本来なら、仕事はもう決まっているのに、なぜか気になってしまうのです。
ちょっと話を聞くだけならいいかと、電話してみました。
すると電話に出た人が高卒の私に対して、やたら熱心に勧めてくるのです。
「絶対うちの会社に来た方がいいよ! 面接に来なさい!」
結局私は入社が決まっていた会社を入社前日に丁重にお断りし、
「大和ハウス工業」に無事採用されたのでした。
入社すると、そこは男性ばかりの職場でしたが、
たった一人だけ20歳位の女子社員(直美さん)が働いていました。
朝からお酒やタバコの匂いが漂う男の職場で、彼女はいつも笑顔を絶やさず、
男性社員達の「お茶をくれ!」「タバコを買って来てくれ!」という要望に、
快く対応し、決して嫌な顔ひとつせずに笑顔で働いているのです。
私はそんな彼女にいつしか心を奪われてしまいました。
入社2ヵ月が過ぎた時、彼女の誕生日だと分かったので、
私が好きなクラシックのレコードをプレゼントしました。
私の中では、もう彼女と結婚したいと決めていました。
しかし、彼女の反応はイマイチ。どうやら当時彼女の同僚には、
「クラシックが好きな男性なんてねぇ。
しかも髪型は七三で、ズボンの丈も短いし……好きじゃ無いタイプ!」
と言っていた様です。
それでも彼女へのアタックは止まりませんでした。
毎日、仕事が終わると彼女を家まで送り届け、休日は朝早くから彼女の家に行き、
猛アタックを続けました。
当時の彼女(直美さん)の気持ちが後に語られています。
私がまだ18歳の時に初めてトクジさんと出会ったのですが、
パッと見る限りでは、生真面目そうで、いい所のお坊ちゃんという感じでした。
実際は貧乏出だったので違いましたけど、その時は好青年に見えたんです。
ただ、私は自分をぐいぐい引っ張ってくれる人が望みだったので、
彼はまったく逆のタイプだったんです。
だから、毎日家に送ってくれるのも、最初はアッシー君みたいで便利だと思っていました。
ただ毎日家に送ってくれても、私だってまだ18歳でしたから、
仕事が終わったらまっすぐ家に帰るのではなく、先輩や同僚と食事とかしたいんです。
それなのに、彼は毎日私を家に送るだけでなく、
休日も来るし、電話も2・3時間おきにしてくるんです。
その事で大喧嘩した事もありました。
今だったら、完全にストーカーですよね。
私は縛られるのが嫌いなので、やがてもう限界。「ふざけるな」と思いました。
そしてある日、もう別れようと思い、一緒に車に乗っている時に、
「今日でお付き合いを止めたい!」と彼に言ったんです。
そうしたら、彼が泣いたんです。
ボロボロと涙を流して、私の袖を握って離してくれないんです。
「ちょっと困ったな」と思いました。
それからも彼の猛アタックは続き、彼女は根負けして、
「100万円貯めたら結婚してもいいよ」と言ってしまったのでした。
実は、直美さんも10歳の時に、目の前で父親が吐血して亡くなっていました。
それ以来、親戚の家に預けられて育ったのでした。
そんな二人が、どこかでお互いの気持ちが引き合ったのかもしれません。
こうして彼女が23歳の時に結婚したのでした。
彼にとって、彼女は幸運の女神だったと思います。
彼女と結婚した事で、私の運が少しづつ上昇していったのです。
一年後には、自宅を建てて、その一室を事務所にして二人で不動産仲介業を始めました。
経営は順調でしたが、不動産業は安定した職業ではありませんでした。
契約が取れなければ収入はゼロです。
今は順調でしたが、何か心の奥で物足りなさを感じていました。
そんな時、行動的な妻が喫茶店をやってみたいと言ってくれたのです。
善は急げで、さっそく信用金庫から500万円を借りて、喫茶店「バッカス」をオープンさせました。
オープン初日、私は軽い気持ちで妻の手伝いに行きました。
すると開店の物珍しさもあったでしょうが、大勢のお客様が来店してくれたのです。
それが心の底から嬉しくて、妻と二人で拍手するほどでした。
私の中から、不動産業では味わった事が無かった熱いものがふつふつと込み上げてきたのです。
「これからは夫婦で喫茶店をやっていこう!」
不動産業は廃業にしました。
妻がいなければ、飲食業をやる事は絶対になかったです。
しかし、喫茶店の経営は順調ではありませんでした。
現在もそうですが、名古屋の喫茶店と言えば、「モーニング」です。
「モーニング」とはドリンク代だけで、
野菜ソムリエ ぱるとよさんブログより
あとのトーストや卵、サラダは無料で付いてくるというお得なセットです。
どこの喫茶店でも「モーニング」で客寄せをしていたのですが、
うちでは一切やりませんでした。
だから、当初は来てくれたお客様もガッカリされた方も多かったでしょう。
喫茶業の先輩方からは、それでやっていけるのか?と心配されましたが、
私達は「安さで人を呼ぶよりも、真心のサービスをしよう」と接客に力を入れました。
例えば、サンドイッチなら、その都度お客様にマスタードの量を聞き、
サンドイッチの具は最後の一口までキッチリ残る様に丁寧に作りました。
ウインナコーヒーなら砂糖の量もお客様に直接伺って作りました。
常に店を掃除して綺麗にし、毎回お客様が来店したら、
手を止めて「いらっしゃいませ!」
お帰りになる時は、「ありがとうございました!」と元気よく挨拶しました。
すると、じわじわと客足が伸びてきて、やがて繁盛店になったのです。
開店10ヶ月後には、調子に乗って2号店を出す事にしました。
しかし、これが思わぬ苦労を招いてしまいました。
この2号店が、全くお客様が入らないのです。
経済的にも苦しくなり、最初の半年間は、二人でパンの耳を食べる毎日でした。
しかし、一品一品真心を込めて出し、一生懸命接客しました。
やがて「名古屋で一番のウインナー珈琲」と売りにすると、それを目当てに遠くから
来てくれる御客様が増え、段々と1号店、2号店ともに地域で一番の繁盛店になったのです。
ただ、店は小さくて15席しかありませんでしたから、これ以上の成長は望めませんでした。
そこで、出前も始める事にしたのです。
その為には食事メニューを増やす必要がありました。
ピラフにしようか、カレーライスにしようか、牛丼にしようか。と悩みました。
当時名古屋には牛丼の専門店が無かったので、牛丼はいけるかもしれないと思い、
東京の牛丼繁盛店に視察に行く事にしました。
しかし行って見ると、東京の牛丼屋はおじさんばかりで、女性の姿がありません。
昼食になると、オジサン達が一心不乱に牛丼を食べている姿を見て、
女性が入れない雰囲気が、何か違うなと思いました。
妻が家で作るカレーは、とても美味しかったので、これは皆にも食べてもらいたいと、
カレーライスを出す事は決めていました。後は味をどうするかでした。
そこで妻と相談し、カレーライスを出す事にして、
東京で有名なカレーのお店を10軒位食べ歩きました。
しかし、その時改めて感じたのです。
「妻が作るカレーが一番や!」
帰りの新幹線の中で、「カレーなら、ココが一番や!」という思いから、
3店目の店名を「カレーハウスCoCo壱番屋」にしました。
こうして私が29歳の時に「カレーハウスCoCo壱番屋
」一号店をオープンしたのです。
アンケートはがきを導入し、お客様の声はクレームであっても、ファンレターだと思って、
どんなお客様の声も無視せず、なるべく改良する様にしました。
ただ、最初から順調だった訳ではありませんでした。
「CoCo壱番屋」4店目を出した時、二つの喫茶店を処分しても、
給料を含めた70万円が不足して払えない状況でした。
そこで尾西信用金庫さんへ行って、無理を承知でお金を貸して下さいとお願いしに行ったのです。
すると、70万不足の所、100万円を貸してくれのです。
良かった。10万円もあれば私達夫婦も新年を迎える事が出来る。そう思いました。
会社に帰るとさっそく給料袋に70万円を詰め、従業員に渡しました。
すると20万円が残りました。
その20万円を見て、夫婦はこう感じた。
「ああ、残りのお金。これは自分たちのお金じゃない。」
すると、せっかく頭を下げて借りたお金を、
10万円を、尾西市の社会福祉協議会さんに寄付。
もう10万円を、一号店のある所の社会福祉協議会さんに寄付しました。
すると、不思議な事が・・・
4店舗でアップアップだったのに、
それからというもの、次々とやる事が当たり、
あっという間に、50店舗、100店舗と増えて行ったのです。
「CoCo壱番屋」がこれほど多くの店舗に増えたのには理由もあった。
それは、宗次德二氏が美味しいカレーを多くの人に食べてもらいたいと、
ルウは提供するが、ロイヤリティは取らないのである。
また、いい加減なカレーを出さない為に、各店舗のオーナーさんは、
一般募集ではなく、まずは社員になってもらいよく知ってもらってから
暖簾分けという制度をとっているからだ。
その後、「CoCo壱番屋」は2000年に株式を公開。
宗次德二氏は、株式をハウス食品に譲渡する形で引退した。
その時の夫婦の株式の譲渡額は、220億円だったという。
その時、すごい金額が振り込まれていて、その通帳を見ながらこう思ったという。
「これは自分たちのお金じゃないぞ」
「これは社会から一時的に預かったものだから、
社会にお返ししないといけないね。」と、夫婦で話したんです。
その時にこう思ったのだそうです。
私が貧乏で苦しかった時、テレビから流れて来たクラシック音楽が、
どんなにか私の心を癒してくれたか。と。
名古屋に恩返しする意味でも、栄駅にクラシック様の音楽ホール「宗次ホール」
を建て、そこ通じて数々の運動を行なっている。
東北被災地に音楽を贈る運動。
青少年に楽器を贈る運動。
また、若手演奏家の支援の為、
例えば、約2億円するストラディバリウスなどバイオリンの名器を、有望な演奏家に無償貸与している。
宮本笑里さんや三浦文彰さん葉加瀬太郎さんら著名なバイオリニストに加え、
宮本笑里さん
三浦文彰さん
葉加瀬太郎さん
25歳以下の若手を対象に2年に1度開く「宗次エンジェルヴァイオリンコンクール」の
上位入賞者にも、2年間の期限付きで名器が貸与されている。
他にも、一人でも多くの演奏家に世界で活躍して欲しい為の奨学金制度。
楽器が不足し購入が困難な小・中・高校のブラスバンド・オーケストラ部への楽器の贈呈。
社会福祉施設や団体あるいは個人に向けての楽器の贈呈。
また、NPO法人イエロー・エンジェルを立ち上げ、
児童養護施設への寄付。
授産施設への給食サービス。
被災地などへの移動販売車でのカレー提供。
フードバンクへの食材提供などを行なっている。
夫婦が共に健康で商売できた「感謝」の気持ちとして。
東京カレンダーより
END
参考:東京カレンダー?
「おしえて!アミタさん」
WORKPORT
企業家倶楽部
B-BOYが発信する生活ニュース
野菜ソムリエ ぱるとよ
三浦文彰さんの画像:出典spice.eplus.jp
< /p>
近代は何故繁盛店問題を引き起こすか
はじめましての方へ
ブログご訪問をありがとうございます💕
日本人妻・韓国人夫の日韓夫婦がご紹介する
韓国情報、韓国美活ブログです
ごゆるりお楽しみくださいませ(*^^*)
༚┈❁┈༚༝༝५✍⋆*༚┈❁┈༚༝༝५✍⋆*༚┈❁┈༚༝༝५✍⋆*
【2018年7月ソウル・5泊6日】
6月の食べたもの総集編は
滞在日数が長すぎて
まとめを断念してしまいましたが
今回のソウルはちょうど手頃な5泊6日
ということで
復活
「韓国冷麺」と言えば
1番リピートしているのが
ユッサム冷麺
『ソウル「最多リピ記録」のチキン店~ポッポチキン@会賢』
とにかく記録的な暑さにやられ食欲も落ちがちで
韓国グルメを謳歌できなかったのが残念
そんな韓国食事録となっちゃいましたが
新しい感動を呼ぶ韓国グルメに出会えて良かった
随時、また詳しくレポしていきますね
rico
皆様の感じる『韓国』も
もっと楽しくなりますように
Amebaトピックスに掲載されました
記事
今日のpick up厳選韓国ネタ♪
便利な記事検索
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当ブログをお読み頂きありがとうございます(*^^*)
▼ささやかではありますが
韓国をお得に楽しむ特典一覧♪
▼これまでにないダイエット効果を実感するなら
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございます♥
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繁盛店 関連ツイート
もうすこし、地方度が一段上がっているからなのでしょうか。