仕事を楽しくするめまいの4ステップ
そんな中、新聞の書籍紹介欄に月経前に豹変する女といったタイトルの本を偶然見つけ、その時初めて「豹変」という言葉に反応しました。
そういえば私の変化は月経前に
その本を取り寄せると無我夢中で読み、
これまでの暴言やパニック症状、激しい悲しみや寂しさ、身体的症状、そして月経前にそれらが強烈に表れ、月経後に消失していく。
まさに、私のことを書いているようで驚きました。驚いたのと同時に心のつっかえが外れて放心状態になったのを覚えています。
病気だったんだ
私が悪いんじゃなかったんだ
私の性格や人格が悪いんじゃなかったんだ
底知れない開放感を感じたことを覚えています。
その書籍には解決方法としてうつ病の薬が特効薬であると書かれていました。
私はまず家族に勧められていた産婦人科に行き、症状を説明しました。先生はPMDDを知らず、処方としてピルと漢方、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬が出されました。
ピルも漢方も副作用でめまいやおう吐を繰り返し、服用をあきらめました。抗不安薬で突発的な発作や混乱は抑えられましたが、意識は遠のき、脱力感が残るだけでした。
次は精神科に行き、症状を説明しましたがまたも先生はPMDDを知りませんでした。
私は読んでいた本を見せ、
「どうしてもSSRI(代表的な抗うつ薬)でしか治らないから処方してほしい!」
必死でお願いして、SSRIとまたベンゾジアゼピン系の抗不安薬を処方してもらいました。
それが効いていたかどうかはわかりません。
でも私にはそれが希望でした。
治る
これを飲んでいれば治るんだという希望が、
しかしSSRIを処方してもらってもずっと症状は落ち着きません。病気とわかっても、心が幾分軽くなったといえども、症状は否応なく襲ってきます。
いやだ、いやだ、いやだー、
その時ほど惨めなことはありませんでした。泣きながら手渡された水と共に薬を飲んでました。
PMDDという病気だとわかった頃、私はカナダに行く計画を立てていました。しかしそれは夢や希望に満ちた旅行計画ではありませんでした。
逃げるためでした。
もうこれ以上家族といたくない、
ただそれが目的でした。
症状が出ているとき、相変わらずイライラして家族への暴言が止まりません。相変わらず暴力的でモノを破壊し、暴れていました。
病気だとわかっていても、文句を言われたほうはもちろん腹も立つし悲しくもなる。言った本人も覚えているけど、生理が来れば一人でスッキリした顔をしている。
それでも言った内容やした事を覚えているから、なんだかいつも申し訳なくて、惨めで、ずっとずっと言い訳がましく生きなければならなかった。
PMDDだとわかる前、私はこの毎月のサイクルに悩まされ、人格否定され、自分は最低な人間だと思い込み、もうこんな苦しみから解放されたいという思いから
自殺を考えたこともありました。
出勤前に降りた駅で1時間ほどずっと無言で線路に飛び込むことを考えていました。
楽になるだろうなあ、もう苦しまなくてよくなるんだなあ。そう思っていた駅や線路の情景を今でも忘れません。完全に狼狽していました。
PMDDとは人格を奪い、自尊心を失う病気です。
カナダに行くことが決まった私は、精神科で買えるだけの薬を買いました。保険で買えない分は自費で買い、SSRI、抗不安薬などを両手いっぱいに抱えてカナダに旅立ちました。
私には唯一のお守りだった。
病気を持ちながら、スーツケースひとつで極寒の冬を迎えるカナダに飛び立った私を、家族はどんな気持ちで見送ったのかを考えると、今でも切なくなります。
こうして日本ではSSRI(抗うつ薬)と抗不安薬という解決しか見出すことができず、私はカナダに旅立ちました。
につづく
*ここでは私が読んだ書籍は紹介していません。その書籍の著者が男性であるということ、PMDDの解決法はSSRI(抗うつ薬)、抗不安薬、ピルなどの化学療法、もしくは卵管を切るなどしか記載されていなかったため、おすすめしたい書籍ではないと考えたためです。私も実行はしませんでしたが、卵管を切れば楽になれるのだと考えたことがあります。実に暴力的で女性の尊厳をなくしてしまうことだと思います。ただ、私がPMDDを自覚するのに非常に重要な書籍であったため、書籍との出会い、著者には感謝の気持ちでいっぱいです。