筋肉 新・総合生活産業
Biellman Spin
受け継ぐもの
Pure Hero. Yuzuru Hanyu, 2017 World Champion
若い選手が誰かに憧れて、その若い選手が成長したとき、
今度はもっと若い選手から憧れを向けられる。
フィギュアスケートに限らず、スポーツの素晴らしさのひとつが、それだと思います。
-高山 真-
プルシェンコとビールマンスピン
羽生選手のフリー「Origin」のモチーフとなったプルシェンコの名作
「ニジンスキーに捧ぐ」。バレリーナ振り付けの力強い動きのなかでのびやかな
ビールマンスピンが目を引く。ビールマンスパイラルも美しい。
羽生選手が唯一無二と称えるプルシェンコは史上初の多さも半端ない。
このビールマンスピンも彼が男子で初めて取り入れたものだ。
そのきっかけは
デニスビールマン
プルシェンコはフィギュアスケートを始めて間もない頃、
テレビでデニスビールマンの演技を目にし
言葉に出来ないほどの衝撃を受けたそうだ。
すぐに専門家から正しい開脚の方法を教わり
毎晩母親とストレッチを始め、
ビールマンスピンとビールマンスパイラルを修得。
一般的に女子より筋肉量が多く体が硬い男子、とりわけシニアで
この技を取り入れたのはプルシェンコが初めてだった。
ドーナツスピンもビールマン同様高い柔軟性を要する技術のため
シニアの男子ではプルシェンコが先駆者となった。
しかしビールマンスピンは腰など身体に負担のかかる技でもあり
プルシェンコは23歳で封印した。
その頃彼の感動と努力の結晶を受け継ぐスケーターが
育っていた。 日本の羽生結弦。全日本ノービスで優勝
和製プルシェンコと言われていた。
プルシェンコに憧れて
「いまだに見ています。本当にあの頃のみなさんの演技がすごい好きで、
ソルトレークシティーオリンピックだったり、その前のシーズンだったり、
その前の前のシーズンだったり、その頃が一番自分自身がスケートに対して、
なんか、なんていうんだろう、興味を持ち始めた頃なんですね。」(羽生23歳)
2002年ソルトレークシティー五輪。
羽生(7歳)はテレビに釘付けだった。
当時19歳のプルシェンコと、アレクセイ・ヤグディンの“ロシア人対決”に
胸を躍らせていたのだ。
2強のうち、最初に頭角を現したのは、
15歳で出た1998年3月の世界選手権で銅メダルに輝いたプルシェンコ。
その翌年にヤグディンが台頭してきた。
2人のトップ争いは熾烈だった。
4回転、コンビネーション——。互いが互いに勝つために、
プログラムをどんどんレベルの高いものに切り替えていく。
羽生「僕にとって、五輪のイメージは“
プルシェンコとヤグディンが激しいバトルを繰り広げた場所”なんです」
こうして迎えた2002年2月14日、男子シングルフリー。
ショートプログラム4位から猛追を見せたプルシェンコを振り切って
金メダルを獲得したのは、ヤグディンだった。
しかし、羽生を虜にしたのは、銀メダルに終わりながらも
強烈な印象を世に与えたプルシェンコの方だったのである。
(プルシェンコの)たくましい踏み切りから繰り出される
4回転トゥループはもちろんのこと、高い柔軟性が求められるため
男子にとっては非常に難しいビールマンスピンは圧巻だった
(片足を頭上に伸ばし、体を反らした姿勢で
ブレードを持ち上げながら回転するスピン技)
体の柔らかさには自信のあった羽生は、すぐにビールマンスピンを練習した。
矢内由美子
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9歳 羽生結弦2004 全日本ノービス選手権 B 優勝動画
プルシェンコの代名詞だったビールマンスピンは
こうして羽生選手の代名詞になった。
このスピンは、柔軟性はもちろんだが難度が高く筋力も重要になる。
ではこのスピンはどのようにしてうまれたのか
実はプルシェンコを感動させた
フィギュア女子デニスビールマンが作り上げたものである。
ビールマンスピン誕生(1977年)
実はこの美しいスピンは危険なほどのハードな技だった。
この技に必要なものはと問われたら柔軟性と誰もが答えるだろう
だがこの技が完成するまでに創始者デニスビールマンは持続的に
筋力トレーニングに取り組まなければならなかった。
回転がぶれないよう強い体幹は不可欠だし
キープするには背筋と腹筋が必要で
太股後部の筋肉も重要だ。
ビールマンスピンSTORY
Denise Biellmann
独創的なスピンをやろう
デニスは11歳の時に得意のジャンプでスイスのジュニアチャンピオンになる。
その後も勝つための練習よりは見ている観客が楽しめる表現を追求していった。
ジャンプだけではつまらない、と独創的なスピンをやろうと思い立つ。
デニスは9歳から12歳までアクロバット体操を習っており、
そのときに人並み外れた柔軟性を身につけていた。
現在のビールマンスピンのポジションも出来、
それをリンクの上で試してみようということになった。
筋力強化と速度UP
しかし、回転しながらそのポジションを取ると遠心力が働き、非常に難しい。
そのため筋力トレーニングも取り入れた。
努力の甲斐があり、スピンの速度はどんどん速くなっていった。
ビールマンスピンに取り組み始めて2年、
14歳で1977年ヨーロッパフィギュアスケート選手権
に出場し、はじめてビールマンスピンを披露する。
ビールマンスピンは
プルシェンコの演技の中で輝きを見せ
「ニジンスキーに捧ぐ」では
芸術点満点を獲得したのである。(芸術点はソルトレイクまでのルールで使われていたもの)
デニスビールマンの技はこうして男子フィギュアでも受け継がれている。
そのつなぎの美しさも羽生選手のビールマンの特徴だ。
こんな美しい技を受け継ぐ男子が現れるだろうか
ヤナ「サーシャは結弦が大好きで。
彼にとってアイドル(idol)。
結弦のように何でもできるようになりたくて、
結弦のプログラムをワクワクしながら見ています。
結弦やパーパのようになりたいと憧れているのです」
高山真さんのエッセイ
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